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「ここが復興のシンボルになるという直感がありました」

 KIBITAKI プロジェクトでは双葉町における食を中心とした町の再出発について、さまざまなゲストをお招きしてお話を伺います。
 第6回のゲストは「浅野撚糸ふたばスーパーゼロミル」という新工場を双葉町に建設予定の浅野撚糸社長、浅野雅己さんです。先端技術を駆使しながらものをつくり、企業進出を図る、食の世界とは違った繊維の世界を生きる企業の担い手。今回のゲストはどのように双葉町と結びつき関わっていくのか。KIBITAKIプロジェクトの3名とともに話しあっていただきました。


ゲスト プロフィール
 浅野雅己 あさの まさみ
浅野撚糸株式会社 代表取締役社長
岐阜県安八町(あんぱちちょう)にて観光も視野に入れた撚糸加工・タオル製造販売工場を運営する。近年双葉町に第2の新工場建設を計画中。

KIBITAKIメンバー プロフィール
  高崎丈 たかさき じょう


元JOE’S MAN 2号・キッチンたかさき オーナー(新規店舗開店準備中)


日本酒のお燗を広める活動を展開中


株式会社タカサキ喜画を双葉町に設立


  小祝誉士夫 こいわい よしお


株式会社TNC 代表取締役/プロデューサー


海外70ヵ国で展開するライフスタイル・リサーチャーを運営し、
国内外での事業クリエイティブ開発をおこなう


  島野賢哉 しまの けんや


株式会社サムライジンガ 代表取締役/プロデューサー


ブラジル、台湾における芸術文化を中心としたプロジェクトに携わる


クリエイティブサウンドスペース 'ZIRIGUIDUM'(ジリギドゥン)創設者


島野:今回対談させていただくのは浅野撚糸さんです。2022年を目標に「浅野撚糸ふたばスーパーゼロミル」という新工場を双葉町に建てられる予定の浅野社長に詳しいお話をお伺いしたいと思います。浅野さん、本日はお時間をいただきましてありがとうございます。

浅野:みなさん、よろしくお願いします。高崎さん、ご無沙汰しております。

高崎:お久しぶりです。先日浅野さんからタオルのサンプルをいただきまして、ありがとうございました。とてもよいものでした。浅野撚糸さんのおしぼりのお話なども後ほどお話しさせていただきたいと思っています。

島野:浅野さんと丈さんはどのようなきっかけで知り合われたのでしょうか。

浅野:経産省に生活製品課というところがありまして、以前そこで課長をされていた杉山さんという方がきっかけです。いま杉山さんは復興庁の参事官をされていて、お話ができないかとなったときに、いいところがあるということで、杉山さんにお連れいただいたのが高崎さんのお店のジョーズマン2号でした。

高崎:杉山さんはすごく日本酒のお好きな方なんです。日本酒の業界では有名な方で、僕のお店にたまたまご来店されて気に入っていただけたということもあるのですが、僕の取り組んでいることにも共通点があったということで、ご贔屓にしていただいています。

島野:それはいつごろのお話ですか。

浅野:昨年の12月ごろでしたね。ちょっとコロナが収まった時期があって、そのときにお酒を飲もうかという話になって。

島野:では双葉町での企業立地を締結されたあとですか。

浅野:そうですね。双葉町出身の方が経営されているお店というご紹介で、ではぜひにという流れでした。

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島野:浅野さんの会社は岐阜県にありますが、最初に福島県や双葉町に関わった接点などをお聞きしてもよろしいですか。

浅野:私には子どものころ2つ夢がありまして、体育の先生と会社の社長になりたかったんです。体育の先生を目指して進学を選んだとき、希望として挙がった大学のひとつに福島大学がありました。福島大学で学び、体育教師として小学校で3年間、中学校で1年間働いたあと、いまの会社に入社しました。大学は福島県を選びましたが、そのときには双葉町という町があることすら知りませんでした。大学一年生のときにアルバイトで相馬市場へ行っていたので相馬市は知っていましたが、双葉町や大熊町は知りませんでした。学生のときには双葉町とは関わりがありませんでしたね。双葉町のことを知るようになったのは2011年の震災からです。そのとき福島に駆けつけることができなかった自分がいました。そして時間が経つうちに、福島のニュースが流れるとチャンネルを変えるようになったんです。そのことに自分でも、つまらん男だなあと思いました。罪滅ぼしのように毎年義援金を送っていました。いまでもそれは続けていますが、自分のなかではその程度のことしかできませんでした。

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浅野:震災から10年が経ち、双葉町での企業立地の計画のお話をいただいてはじめて実際に双葉町へ行ったんです。家族と役員、車に乗って6人で。強烈な体験でした。明日にでも主人が帰ってくるような家々が並んでいる。予定地に立ったときには、ここが復興のシンボルになるという直感がありました。これから何十年のあいだ、双葉町は世界に発信する拠点になっていくだろうと。我々は双葉町から世界に繊維を発信しようということを考えました。震災からずっと、現地に駆けつけなかった自分を悔やんでいました。このまま福島のためになにもせずに過ごすのかと後悔していましたので、お話をいただいたときには、こんな機会をいただけるのかと思いました。ただしこのプロジェクトは20〜30年以上のものになるだろうことを覚悟しています。僕はもう61歳ですし、5年前に肺がんも患っているので、息子に「お前の代にまで続くプロジェクトになるだろうから、お前が決めろ」と言いました。息子もいろいろ考えたんでしょうね。彼は「こんなことはこれからの人生で2度とない」と答えて、ぜひやりたいと言ってくれました。浅野撚糸があります岐阜県安八町では以前、私が高校生のころに大きな水害がありました。私の父は災害後、訴訟団の団長をやっていたんです。安八町1200人の原告団長を担って第一審は勝訴しました。このことは水害の裁判史上最後の勝利と言われています。二審と最高裁は負けました。父は戦った人でした。私が双葉町のプロジェクトを受けるかどうか悩んだとき、父は入院していたのですが、大きなプロジェクトを受けることになるかもしれないと父に相談したら、「こんなプロジェクトに出会えたお前は運がいい」と言いました。「孫がやるというなら、やればいいんじゃないか」とも。家族全員が私を支えてくれました。


続く

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