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「やっと福島に関わることができて、今回丈さんに声をかけてもらったのもすごくうれしいです」

小祝:先ほどお話の中に震災のことが少し出ましたが、丈さんは震災によって双葉町にいられなくなって東京に住むことになりましたね。たくさんの福島の方の人生に震災が大きく影響していると思うのですが、山野辺さんの活動において震災によって何か変化はあったのでしょうか。

山野辺:震災では両親と兄弟が被災したことがとても大きかったです。実家は地元で水産会社を営んでいるのですが、工場が被災して全てがストップしてしまったり、従業員さんが津波で流されてしまったり、とてもつらい経験をしました。実家は豊洲など東京に卸す食品を作っている会社なのですが、その後の放射線量の風評被害によって、さらに追いうちをかけるように売り上げが下がりどんどん衰退して行きました。私はそのころが施術で独立しようとしていたタイミングだったのですが、震災を通してパートナーとお互いの考え方が大きく違うことに気づき、一人になることを選択しました。自分がこれまでやってきた活動で、困っている両親たちや世の中の役に立ちたい、自分もこの活動で自立して生きていきたい。そう思うようになってから大きく人生が動き出しましたね。

小祝:震災によって精神面においても傷を負った地元の方々がいらっしゃると思います。ケアやワークショップを行ったり、いまおっしゃられた福島の風評被害などを打開するための活動、たとえば福島の素材や原料でものづくりをするなど、福島との関わりや接点がもしあれば教えていただけませんか。

山野辺:震災のあと、福島では地元いわきの小名浜エリアにボランティアやワークショップをしに行っていたんです。ですが、地元の混乱期に被災していない私が行くことで、逆に傷ついている人たちの刺激をしているような気がしました。母親もこんなに酷い地元の状況を見せたくないからしばらくは帰ってこない方がいいよ、自分の育った町がこんなになってしまって、車で通ってその街並みを見るだけでも具合が悪くなってしまうからと。そのとき、地元とはいえ、日々そこで暮らす人と東京で暮らす私とでは分かり合えないことがたくさんあるのかもしれないと思ってしまったんです。

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山野辺:それでも何かしたいという想いはずっとありました。でも何もできないことへの葛藤があったなか、震災から2年後に楢葉町で復興支援の活動をしている友人から声をかけてもらったんです。楢葉町では震災前からゆずを生産している農家さんがいたのですが、そこのゆずは震災後とても放射線量が高かったんです。でも時が経つにつれて線量がどんどん減っていきました。それはもしかすると空気中にある線量が減っている証なのではないかということで、そのゆずを蒸留してアロマオイルを抽出し、アロマクリーム作りワークショップを開催しながら町のみなさんと交流するようになりました。その後、線量が出ていないゆずを使ったアロマクリームを商品化することで、楢葉町のいまを伝えていくという活動に発展していきました。そしてつい先日4年の活動を経て、ゆずのアロマクリームが完成しました。

小祝:素晴らしい活動ですね。

山野辺:友人が蒸留機を買ってゆずを蒸留しているうちに、町のおばちゃんたちは畑でハーブを育てるようになりました。ローズマリーを育てていて「マリーズ」というチーム名が生まれたり。60代や70代のおばちゃんたちが楽しみながら一生懸命畑仕事をしていて、いつかそれを摘んでハーブティーにしたり蒸留してアロマオイルを抽出したり、また新しい活動をスタートさせたところです。

小祝:楢葉町はハーブやゆずなどが名産の地域なのでしょうか。

山野辺:楢葉町では昭和62年にゆずの特産品化を目指して、町内全戸にゆずの苗木を配布したという歴史があるそうです。

小祝:双葉町にも何かそういうものがあるといいのですが。

高崎:そうですね。双葉町にも震災前はゆずが自生していたり、専門的な農家さんではなくても育てている方などがいらっしゃいました。ただ双葉町にはまだ放射線量の問題が残っていると思います。

小祝:そうなんですね。

島野:仁井田本家さんのところにある裏山から香りを作られていると丈さんからお聞きしたのですが、楢葉町のほかにも福島の素材を使って香りを作るということが増えてきているのでしょうか。

山野辺:そうですね。このあいだは小学校をキャンプ場のようにリノベーションしている方たちに呼んでいただいて、地元のサルナシを使って何かできないかというお話をいただいたり、徐々にそういうことは増えてきていますね。やっと福島に関わることができて、今回丈さんに声をかけてもらったのもすごくうれしいです。もっとこれからも福島のために何かできたらいいなと思っています。

高崎:喜子さんの活動をもっといろんな方に知ってもらって、広がっていってほしいと思っています。今後の展開など、どういったイメージをもっていますか。たとえばお弟子さんのような、伝える人を育てる教育などはお考えでしょうか。

山野辺:そうですね。もともと考えていたのが、日本におけるハーブ薬局のような存在なんですよ。先ほどお話ししたように、ヨーロッパは町のなかにハーブ薬局があったり、薬局にはアロマが並んでいたりします。病院があって、薬局があって、それからハーブ薬局があるんですよ。たとえばちょっとお腹が痛いとか、咳が出るといったときに、まずハーブ薬局に行ってそこにいるハーバリストさんに相談すると、いろんなハーブをブレンドしてこれを飲んでみてとか、これを塗ってみて、とケアをしてくれます。それでダメなら薬局に行って、それでもダメなら病院に行こう、というような考え方です。

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山野辺:そういった民間療法の窓口のようなものが日本にあれば、体のセルフケアができるようになるし、何かあったらすぐに病院へ行くという考えや、人に自分の体を預けるということが減ると思うんです。それこそ今回のコロナ禍においても重要な、見えない敵におびえるのではなく、見えない敵がいるからこそ、自分の体をもっと鍛えて負けない体を作っておこうという考え方をできるようになる、そもそもの考え方や生き方のようなものを伝えていける場所を作りたいと思っています。でも実際に薬局は作れないので、「yes」のアロマやハーブを伝えるショップを増やしていくことによって、その生き方や考え方を伝えていきたいというところから始めています。まだまだ一人でやれることには限りがありますが、次のステップとして考えているのは人を育てること。1都道府県に「1yes」が目標です。

島野:山野辺さんと同じような考え方や意識を持っている方をいかに増やしていくかが重要ですね。セルフケアに重点をおいて、どのように自分の免疫力を高めていくかを、ヨーロッパのようにハーブを身近に使って、自分の健康管理をしていくような。それを可能にする環境を身近に作るのが理想なんです。

小祝:いわゆる「未病」を改善していくということですよね。自分の体のことを人に預けないという考え方はとてもいいものですね。どんな症状でもとにかく病院へ行くしかないという選択肢の少なさが改善されてほしいです。


続く

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