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双葉町における町づくり

「自分らでどうにかすれば、どうにかなるような時代になってるんだ」

高崎:もともと震災の前から田舎で、それが原発事故によって、いろんなものがなくなってしまいました。

小祝:ほんとに双葉って素材がないんですか?

高崎:ほんとにないです。これから浅野撚糸さんっていう企業が双葉町に入って、タオルの工場ができたりするんですけど。素材はないです。隣の浪江町にはあるけど、双葉町には産業も、農業もないです。観光資源もない。

小祝:農業は震災以前からなかったんですか?

高崎:もともとはありました。でもそれも放射能で…水分中の放射性物質が規定値より高いので、そこで農業はできない。試験的には始めるらしいですが。食品としてのラインになるにはたぶん年月がかかります。南相馬では、hakkoba(ハッコウバ)というところが井戸水で日本酒を作っています。井戸水のような、深い場所の水なら水質もいい場合がある。そういった可能性も探っていけば、ないことはないと思うんですが…
広島には、いまも原爆ドームがあるじゃないですか。原爆を落とされた場所が、観光地化されている。双葉町や大熊町のあの一帯、原発跡地というものに対して、世間的にどうしてもネガティブなイメージがありますよね。あの記憶をただネガティブなものとして終えるのではなく、うまく利用して、というと言い方が悪いけど、観光地化することによって、産業などの方法ではない、マイナスをプラスに変えるような双葉町からの発信ができたらいいなと思っていて。それこそ双葉にしかないものだし、なにかが生まれてくることで、町が再生していく景色みたいなものがあればいいと思うんです。たとえばオリンピックとかも大事なのかもしれないんですけど、そうじゃなくて、自分らでどうにかすれば、どうにかなるような時代になってるんだっていうような、そういうものを表現できたら一番いいなと思ってるんです。いまの暗い日本が少しでも明るくなるような、そういう場のスタート地点として、双葉町が日本に発信していく、さらには世界に発信していく。近年で一番被害を受けた地域でもあると思うんですよ、原発事故によって。でもそこから始まって、逆に一番発信力のあるエリアになれば、地元の人間として誇らしく思えます。

小祝:ポジティブに考えると、ゼロからスタートできる町って、なかなかないもんね。

高崎:ゼロの町ですね。でもそれって、いまどの町にも起こりうることじゃないかと思うんです。地方の行政や自治体がなくなって合併するとか、もうすでに起こってることじゃないですか。自分の町にはそういうことが起こらないって、どこかで信じていても、いつどんな形になるか、もうわからない。危機感といいますか、みんなどこも一緒だと思うんですよね。地方創生に関わる方も、自分たちの町とかふるさとがなくなってほしくないって想いで取り組まれているはずです。僕も、双葉町は双葉町としてあり続けていてほしい。そういう想いを持つ方たちとうまく連携して、方法を考えたいんです。ただ、今の行政の仕組みだと、どうしても今以上のことができないってことも感じていまして…

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「成功体験を得て動くのではなくて、原体験の連続から、成功体験が生まれるところまで動き続けたい」


島野:この前、実際に双葉町へ一緒に行って、役場にもお邪魔したじゃないですか。町役場の目標は、戻ってくる人口をとにかく増やして、いかにしっかりとした町の形を作るかっていうことなんですよね。2022年度の3月までにはこれだけ人が戻ってきました、翌年はこれだけ増えましたっていう、具体的な居住人数にこだわっている。それはハードウェアの部分のみの話ですよね。具体的なモノや量など、とにかく具体的に目に見える数字を結果としてとらえている。そのときの話がずっと僕の頭に残ってるんです。「住人がいないから、結果を出せないんです」って。そう言われたとき、「住人がいないからこそ、いろいろ試せると思う」って逆に考えてしまいました。むしろ、今しかないんじゃないのと。たしかにそのハードウェアの部分やリアルなモノも重要ではあると思いますが。

小祝:どっちも必要ですよね。町を守るハードを作る人と、我々のように、あっちに行ったりこっちに行ったりして、新しい風を入れるような人と。

島野:両輪ですよね。

小祝:ソフトを作っていける存在にならないとですね。

島野:そうなんですよ。あいだに入って、両方バランスをとれる人たちがいないと、いい形の町にならない。ハードとはまた違った形で、いろんな人たちが加わっていって、ハード・ソフトを含めたトータルで「双葉町」が発信できて、そこを好きになってもらって、また人が関わって…結果、町としてアピールできて、成長していくっていうことを僕は想像しています。ハードのみの視点から外に出られないところを、丈さんや僕らが渡り歩くように、あいだに立つ、ハブになる。それがないと、たぶんいつまで経っても変わらないんだと思います。現状を打破していく、変えていかないと。そういうことをオーガナイズしていけるような3人でありたいし、またそこに加わってくる人たちとの連携をしていきたいなと。
いまの時代って過渡期だと思うんです。僕のなかでは、インターネットが出てきたときと同じくらい、コロナの影響もあってなのかもしれないんですけど、ものすごく変わり始めている。双葉って、その舞台のひとつとして、すごく重要な場所になるんじゃないのかな。単純に過疎の町ってだけだと、そこでこういった考え方を持ち込むのは、はまらない部分があると思う。どういう反応が来るかは別にしても、ゼロであるからこそ、いろんな風を吹き込める、それをチャレンジできるっていうことはなかなかないですよね。

小祝:あとは方法として、現代流にやるってことですよね。オンラインを使えばいろんなことが現場に行かなくてもできますし。オンラインでやれること、繋がれることって、国内外も含めて無限じゃないですか。それと組み合わせて、リアルな場でリアルな活動をしていくことも絶対に必要になってくる。そこをハイブリッドで進めていくプロジェクトになりますよね。そして、いかに求心力を持っていろんな人を巻き込んで、越境して自由に動くか。ただのローカルで終わる動きにはしたくない。さっき丈さんが言ったように、日本を明るくする種になるとか、国内外からいろんな人が集まってくる場所になるとか、原点回帰みたいなことができる場になればいいなと思います。「一から開墾して農業しましょう」みたいな話ではないじゃないですか、もはや。特産品もない、人もまだいない、産業がない、町おこしのヴィジョンがまだない。そういう状態のなかで、ゼロスタートできることをポジティブに考えていきたいな、と思いますよね。

高崎:ない状態だからこそ、やり続けるのか、やるのか。

小祝:野心を持ったゼロスタートだからこそ、やりたいって人が集まるとすごくいいですよね。ここにいけばゼロスタート、ゼロチャレンジができると思わせるような場所になれば。形を問わない、新しいスタイルの町づくりだと思います。

島野:もっというと、面白い発想を持った人間がいつも双葉から出てくるっていうようなものが定着するといいね。ハードじゃなくて、頭脳とか考え方とか、面白いパーソナルが資源の町っていうことになると、それが新しいスタイルになって、面白い町づくりの形になるんじゃないかな、と思いますね。

小祝:それこそ食でなにかを立ち上げるんだったら、双葉へ行くといろんなプレーヤーがいるから、刺激もあるし、テックもあるし、出会えるし、ヒントやイノベーションが得られるし、学べるし、みたいな。KIBITAKIによって、フード系のとがった人たちが集まるような場所を作れると、個性がつくかもしれないですよね。そういうの、いいな。

高崎:僕ひとりでは想像のつかなかった方向性が見えているような気がします。実際、僕が動いてみて少しでも何かが変わっているのであれば、それを続けていくと、あらゆる組み合わせで、もしかしたら自分が想像している以上のことが起こるのではないかと。成功体験を得て動くのではなくて、原体験の連続から、成功体験が生まれるところまで動き続けたい、と思いますね。

小祝:積み上げていく感じですよね、原体験の部分を。みんなにきちんと響くプロジェクトだな、と思うんですよ。


続く

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