複雑で多様な人間

これから発売されるFF16の世界設定では、登場人物が白人しかいないのは多様性の欠如という難点があると指摘する(海外の)声があり、それを巡る論争に対して、吉田プロデューサーから発言があった。
「最終的には、単にキャラクターの外見よりも、人間としての姿、つまり性質、背景、信条、性格、動機において複雑で多様な人々に焦点を当てたいと思っています。」

対してFF14では、種族や集団による多様さをこれでもかというくらい丁寧に描いており、それらが敵対したり融和したりという物語が繰り広げられていた。 その例として、アウラ族の習俗に関する設定などは、多彩な世界設計の極致を表すものだろう(同MMORPGのFORUMを参照)。

しかし、これらの設定では、ひとつの種族、ひとつの集団では同一の価値観、同一の行動規範を持っているという前提がある。
それに従わない者がいたとしても、「異端」とか「変わり者」と看做されていると。

吉田プロデューサーはそれとは別の物語を紡いでみたかったのではないか。今や、SNSや各種掲示板等で明らかになっているように、同じ国家の市民、同じ出自の集団であっても性質、背景、信条、性格、動機がそれぞれ違うというのが「現実」の姿だ。

出自が同じでもこれだけ「常識」が異なっている人々がどう隣人に接するのか。どう敵対し、どう融和するのか。
それを描くには、作品世界の人々の外見による属性を固定し、それによって「人間の姿」が決まるという設定から自由になることが、FF16製作者の狙いなのではないか、と思った。

だとしたら、すごくアグレッシブな挑戦だ。今の政府や市民社会が答えを見つけかねているものに、切り込んでいくのだから。

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