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メーメルからクライペダへ

現在,リトアニア唯一の港湾都市であるクライペダ Klaipėda は,12世紀の創建以来,プロイセン公国,のちにドイツ帝国が支配した東プロイセン地域にあり,メーメルブルク Memelbrug と呼ばれていた。

第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約で設けられたプロイセン自由国 Freistaat Preußen には属さず,フランスが統治する国際管理地域とされていたが,1923年にリトアニアの軍隊が侵攻して自国に編入しており,フランスも連合国もそれを追認した。

ドイツ系住民が多く,1938年に(市の?)選挙の結果ナチス党が主導を握ったあと,1939年3月22日にはドイツ第3帝国に併合されている。ナチスドイツの敗北に伴い,この地に居住していたドイツ系住民は本国に逃げるか,リトアニアを編入したソビエト連邦により強制的に追放された。

この過程でどれだけの犠牲者が出たのかは定かでない。ドイツ人が消えた土地には,その後,周辺のリトアニアから住民が移住してきた。

こうして,以前はドイツ人から(低地プロイセン方言で?)メーメルと呼ばれていた街は,リトアニアよりクライペダと呼ばれることになった。その名の語源は古クロニア語(死語)で「平らな土地」を表すという。

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