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「働かざるもの食うべからず」という格言はむしろニートを肯定していた?!

「働かざるもの食うべからず」という格言は、ニートや無職の存在を否定するものであると思うのが普通だろう。
しかし必ずしもそうでなく、むしろ解釈によってはニートや無職を肯定するものになると思う。

近代においてこの格言を用いたのはソ連のレーニン憲法であって、社会主義国という文脈において「働かざるもの」とは恐らく資本家階級のことであって、労働者を代わりに働かせて、その苦労以上に利益を得る資本家は否定された。

日本は資本主義社会であって、「働かざるもの」である資本家が莫大な利益を享受できる社会構造であり、上述した社会主義的文脈においては働かざるものが飯を食っているのが今の日本である。

そしてこの働かざるものが飯を食うという構造を支えているのは、働かざるものに雇われている労働者であり、労働者が働かなければ、働かざるものである資本家は儲からず飯を食えない。

反対にニートや無職というものは「働かざるものに飯を食わす」という行動に一切加担してないことになり、働かざるもの食うべからずという思想を実行しているのは無職やニートであると言うこともできる。

ここまでの話は、少々、屁理屈がすぎるというか、極論がすぎるように思えるだろう。

ただ、最後に真面目な話をすると、我々が「働かざるもの食うべからず」という格言を意識した時、ニートや無職だけを連想するのではなく、ブラック企業の経営者など、労働者から不当に利益を搾取しているような人々も意識するべきである。

そして、ニートや無職だけを糾弾するのではなく、労働者を利用して不当に私利を貪り、労働者の労働環境や待遇などを上げ渋る人間に対しても厳しく糾弾すべきであり、働く者のために行動していくべきだ。

と、ニートのぼくちんは思ったかなあ(^^)
(トップ画像はニートぼくちんの今日の飯)

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