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「サブスク」「エゴサ」どうしても言えない省略語

時代が流れていく限り、文化の隆盛と共に言葉も変化しながら私たちの生活に馴染んでいきます。毎年流行語大賞などがマスコミで取り上げられるのも、いかに言葉がその時代を端的に表しているかを知るいい典型でしょう。

文化やサービスが流行るとき、そこに親しみ易いネーミングが伴うことはよくあることだと思います。例えば2019年から流行ったタピオカにまつわる言葉では「タピる」「タピ活」「ベビたっぴ」などが日常で広く使われるようになったようです。
サービスが広がって愛称が生まれ、愛称が広がることでさらにサービスが周知されていくという循環がそこにはあると思います。長い言葉を短縮して口にしやすくする省略語もよく耳にします。
上にあげた「タピ活」もタピオカ活動の略で〇〇活動系の省略語は就活、婚活、妊活、パパ活、終活などと多数あります。


この省略語、私は昔から苦手意識がありました。そして先日アシタノカレッジというラジオ番組内で、パーソナリティの武田砂鉄さんとゲストのふかわりょうさんが省略語について話しているのを聞いて、改めて自分が抵抗感を持つ一部の省略語と、普通に使う省略語の違い、そしてなぜ苦手意識を感じるのかについて考えてみたくなりました。

(24:00からが、ふかわりょうさんとのコーナーになります。)

まず、数ある省略語の中で、抵抗感のあるものとないものに分別してみました。

普段何も考えずに使っている、使っていた省略語
コンビニ、パソコン、就活、デパ地下、バイト、筋トレ、ゆるキャラ、アプリなど
言えるけどちょっと意識してしまう、頑張れば言える群
スマホ、キムタク、スタバ、ワンオペ、イクメンなど
言えない
JK、リア充、元彼(カノ)、アナ雪、トリセツ、スクショ、あけおめ、メリクリなど

これをみてパッと分かるのはまず年代ですかね。ありがちですが、昔からある言葉ほど難なく使えているというのがわかります。ただ、言葉の変化についていけず昔にこだわる老害というだけの結論は悲しいので、なぜ言えないのかという点をもう少し考えていきたいと思います。

私は現在、日本国外に住んでいるので、実は上記の言葉自体使う機会があまりありません。日本人同士で話す場合もお互いにリアルタイムでの日本語の変化に疎い場合が多いので、抵抗感のある言葉を避けることも簡単です。なので現在の生活の中で言えない省略語を例にあげてみていきます。

私はアイランドナチュラルズという名前の食料品店をよく利用します。こちらに住む日本人では「ナッチ」と呼ぶ人もいます。確かに、アイランドナチュラルズは長いのでナッチの方が断然言い易いです。でも私は言えません。正しくは言うのが恥ずかしく感じます。ナッチと呼んでいる人に対しては恥ずかしいとも何も思いません。むしろ意識せず使えることがちょっと羨ましいです。羨ましいと思うくらいならそう呼べばいいと思われるかもしれませんが、一度意識してしまった上で、言ったとなると想像しただけで恥ずかしさ倍増で、口にした自分を受け入れられないと思います。

言うなれば、鏡をただの遊び道具として見つめている子供を見てもなんとも思わないけれど、自分が他者からどう見えているか確認する道具と認識して見つめている子供がいたら「ませてるな」と思うような感覚でしょうか。

この省略語に対する恥ずかしさが過剰な自意識だということは百も承知です。承知した上でどこからその自意識がきているのかを探ってみます。

恥ずかしくてできないけれどちょっと羨ましいという感覚は小学生時代の記憶と重なります。おそらく3〜4年生頃、クラスの女子が輪になって美少女戦士セーラームーンのテーマソングを歌っていました。私はセーラームーンにあまり興味はなくテレビ放送も数えるほどしか見たことがありませんでした。その楽しそうな輪に加わりたい思いと、でもそれは自分の主義に反するような思いが混在したのをよく覚えています。結局一緒に歌うことはなかったのですが、思えばこの頃から流行や最先端のものに対する天邪鬼意識のようなものが育っていったような気がします。

天邪鬼だから集団行動が苦手なのか、集団に馴染めないから天邪鬼的な理由をつけるようになったのか、どちらが先かはわかりませんが、皆と同じタイミングで波に乗れなくなっていきました。

中学、高校になるといわゆるスクールカーストが明確化していきます。
流行をいち早く取り入れるのはこのカーストの上位層たちです。当然流行語も彼ら、彼女らから広がっていきます。
省略語が言えない、あるいは流行についていけない人、どうでしょう、おそらくカースト上位層ではなかったのではないでしょうか。

ここで初めのリストを見返してみると、言えない群の言葉にカースト上位層の影が私には見えます。

多くの省略語は流行と関わっていると思います。学生時代のカースト上位層や流行へのアレルギー感情を大人に持ち越すことで、一部の言葉に強く抵抗を感じるようになってしまったのではないでしょうか。

一方流行語や新しい省略語などを自然に取り入れられる人が必ずしもスクールカースト上位層だったとは思いませんが、学食や購買のおばちゃんと仲良くなれるタイプだったのではないかなと勝手に考えます。そしてそれは私がかつて憧れた姿です。

憧れてる時点で意識しすぎているので、そんな状態で無理やり「おばちゃん」と呼んだりタメ口で話そうもんなら、後からものすごい後悔が襲ってくるものです。

結局できる人はできるし、できない人はできません。人それぞれ心地の良いやり方っていうものがあるのでしょう。

なので羨ましさも過剰な自意識も両手にぶら下げて、今日も私はアイランドナチュラルズと言ってほっとするのです。


流行った言葉をこちらで参照しました。言葉に興味のある方はすごく面白いと思います。見てみてください。

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