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ヒーローが変身する理由をもう少し考える

スーパーヒーローはどうして毎回変身するのか。これについては15年程前に気になって当時mixiに書いたことがありました。

時を経た今、息子とスパイダーマンなどのヒーローものを観ていて、また気になりだしたので、スーパーヒーローが変身する理由について気持ちを新たに考えをまとめてみようと思います。

非変身型ヒーローとの比較


世の中にはたくさんのスーパーヒーローがいますが、全てのヒーローが変身するわけではありません。まずは変身するタイプとしないタイプの間にはどんな違いがあるのかを比較するところから始めていきます。

非変身型ヒーロー:まんまる球体の単一人格
変身型ヒーロー: 表裏一体の複数人格、主人格サイドにはキャラクターとしてさらに多面的な顔を持つ

どういうことか、非変身型ヒーローのアンパンマンと、変身型ヒーローのスパイダーマンを具体例に見てみましょう。

当然ながら非変身型のアンパンマンは、パン工場でジャムおじさんやバタ子さんと接する時も、街のパトロール中も、お腹がすいた子供に顔を分け与えてあげる時も、バイキンマンの悪事に闘う時も常に、アンパンマンとして対峙しています。

一方、スパイダーマンはピーター・パーカーという主人格とスパーダーマンというヒーロー人格の二つが存在しています。両者は同時には存在しえないので、おもてうらの関係になります。

さらに、ピーター・パーカーという主人格は、環境や接する人によって変わる様々な顔(キャラクター)を持っています。
これはピーター・パーカーに限らず、私たち人間に総じて当てはまるかと思います。


学校ではリーダータイプだけど、バイト先ではいじられキャラとか、職場では大人しいけど、家では超仕切り屋とか、母親の声が電話に出るときにワントーン高くなるとか、大抵の人はあらゆる場面で相応のキャラクターを使い分けていますよね。

しかしこのキャラクターの使い分け、アンパンパンでは確認されません。
アンパンマンは「正義の味方アンパンマン」という一つの顔しか持ち合わせていないのです。
そのため顔が濡れていても、欠けていてもアンパンマンは常に正義の味方として振る舞います。
つまり、どの角度から見ても形が変わらない球体のようにいつでもどこでもヒーローなのが、非変身型ヒーローのアンパンマンということになります。

このシンプルさが理解しやすいため、非変身型ヒーローは幼い子供たちにより受け入れられるのでしょう。

また、余談ですが、この手の球体的完全ヒーローが人間だったら、不自然で胡散臭く見えるため、違和感を抱かないようにパンとか、動物とか、人間以外のキャラクターが器用されているのではないかとも思います。

逆に人外のキャラクターに、下心だったり多面性が見えるような人間臭い言動をさせて大人からも人気を得たのがふなっしーや、おでんくんではないでしょうか。


変身したい理由①: プライベートでの人間関係がヒーロー活動の邪魔になるのを防ぐため

では、この変身型ヒーローの特徴を踏まえて、変身する理由に迫っていきましょう。

ここでは主人格が持つ人間関係に注目してみてます。

再びピーター・パーカーを例にみると、学校、家庭など、それぞれの環境ごとに人間関係が構築されています。
先ほど触れたようにキャラクターの使い分けによって各環境での彼へのイメージは異なるかも知れませんが、同じピーター・パーカーという人物を認識しているという点に違いはありません。

このことは、共通人物を介することで、異なる環境下にあるそれぞれの知人同士に関係性を生じさせます。

下の図でいうと、ピーター・パーカーにとって叔母とクラスメイトは各々家庭と学校という違う環境下での関係者であって、ピーターがいなかったら、お互いに知り合う可能性は低いですが、ピーターという共通人物を介することで、この二人の世界に関係性が生まれるのです。


ではここで、もしも変身という行為をはさまずに、彼がピーターパーカーの一側面としてヒーロー活動を行ったとしたら起こるであろうことを考えてみましょう。

すると悪者も、クライスメイトも叔母も皆ピーター・パーカーという共通項を持った一続きの世界に存在することになります。

そうなった場合、敵からは、家族や友人、恋人などを狙うことで弱みにつけ込まれて報復される危険が生じます。

しかもそれだけではありません。クラスメイトからは、闘いについて八百長の有無から、報酬が出るのかなど下世話なことを聞かれて、家族からは危ないから程々にしてくれと監視され、先輩からは先日の攻撃についてダメ出しを受け、女子からはヒーローたちを集めた合コンのセッテイングを依頼され、恋人からは「見ず知らずの人たちには優しいのに私にはちっとも優しくないじゃないっ」なんて言われることもあるかもしれません。

つまり普段の生活における人間関係などの世界をそのままヒーロー活動の世界に持ち込むことで、より複雑で面倒くさい事態が起こりうるのです。

しかし、変身することでヒーロー人格をピーター・パーカーから切り離し、悪者のいる世界とピーター・パーカーの関係者の世界を分離させてしまえば、大事な人が巻き込まれることもなく、敵を倒すことだけに集中しやすくなるのです。


変身したい理由②: 批判からくるダメージを避ける

承認欲求、自己肯定感、こんな言葉がすっかり浸透している昨今ですが、人気者にアンチがつくのも当たり前となってしまいました。

ヒーロー活動という大きな使命を果たすためにはそれに見合う絶大なモチベーションを要することでしょう。ましてや批判をまともに受け止めながら務まるものではないはずです。

実は変身にはこの批判に極力ダメージを受けないシステムが組み込まれています。

①で見てきた通り、ヒーロー活動に支障を来さないためには、人間関係を展開するのは主人格のみで、ヒーロー人格は敵対する悪者以外、人間関係を構築させないことが望ましいです。

つまり、ヒーロー活動と言う刹那的な関係性のみで世間と繋がり、日常的な接点を持たないということです。そしてこれは世間側からすれば、ヒーローとはリーチしづらい存在だと言えるでしょう。

そうなるとヒーローがSNSアカウントでも持っていない限り、アンチから直接大規模な批判を受けることはありえません。せいぜい現場に駆け付けて野次を飛ばすくらいが関の山でしょう。

では直接攻撃されないにしても世論として大きな批判が巻き起こった場合はどうでしょうか。

これについては安部公房先生の作品から言葉を借りながら考えましょう。

顔を消すことによって心も消してしまう。表情を隠すことで顔と心との関連を断ち切り、自分を世間的な心から解放する。
限りなく自由に、したがってまた限りなく残酷にもなれる。

「他人の顔」より

この理論に従えば、ヒーローとして何か失敗を犯したり、あるいは世間から大きな批判を浴びたとしても、主人格としての顔を隠している限りにおいて、そこに心を痛める必要はないとなります。

ちなみに「残酷にもなれる」ともあるように、ともすればこれは何をしても責任をとらなくてよいと捉えることもできてしまいますが、ヒーロー活動に限って言えば、救済という志を持ってのことですので、その過程で起こった批判にダメージを受けなくてもよいという意味になります。

逆に称賛については主人格として公にできないまでも、心の内で大いに喜べばいいでしょう。

つまり変身とは評価は受け入れ、批判は他人事として切り離すことのできる防衛手段でもあるのです。


変身したい理由③: 「じゃない時間」があるからこそヒーローらしくふるまえる


非変身型ヒーローが、今日はいいやとサボっていたのがバレたら立つ瀬がないですが、変身型ヒーローの場合、変身さえしなければ基本周囲は気づきません。

まあ彼らは選ばれし人たちですから、ヒーロー活動においてサボるということはないのでしょうが、それ以外の些細な行動まですべてに正義を求めらるとしたら大変な重圧です。

ヒーローが酔い潰れるなんてもってのほかでしょうし、近寄ってきた犬をシッと追い払うだけですら大顰蹙を買う恐れがあります。

ヒーロースーツとともに品行方正でなければならないというプレッシャーを脱捨てられるという後ろ楯が、変身中の完璧なヒーローとしての振る舞いを支えている面はあるでしょう。

オフがあるからオンのときがんばれるというやつですね。

さらに言えば、非変身型ヒーローが否応なしにヒーローでいなければならない運命なのに対して、変身型の場合はオフの状態から変身という能動的な動作を挟んでヒーローになります。

つまりはヒーローであることは自らの決断によるのです。これは結果的にモチベーションを保ちやすくなるのではないかとも思われます。

また、ストーリーの外にいる人間からすると、スキのある主人格の言動に親近感を抱き、それがキャラクターとしての好感度や作品の人気などにつながってくるという商業的な効果もあるでしょう。

変身したい理由④: 気兼ねせずに良いことができる

小学校中学年あたりから授業で手を挙げるのを恥ずかしく感じるようになりませんでしたか?

よいことでも周囲の目が気になって尻込みしてしまうことってありますよね。

きっと褒められることを手放しで喜べる社会人は少ないのではないでしょうか。

これは良いことに猛進する姿勢をダサいと捉える風潮と、称賛を受け取る際の周囲へのフォロー行動が人間関係を円滑にしてきた経験によるところではないかと思います。

テスト前に勉強時間の少なさを競うのはあるあるだけど、その逆はあまり見かけませんよね。

「意識高い系」という言葉なんかはまさにそれで、頑張っていること、善良な行いそれ自体は素晴らしいし、かっこいいのだけれども、その見せ方いかんでは嘲笑の対象にすらなる危険があるのです。

さてその「見せ方」において重要視されるのが、称賛を受ける際の周囲へのフォローです。
例えば、髪型を変えた翌日に友達に褒められた場合、

A:「ありがとう、美容師さんもボブが似合うってすごく褒めてくれたんだ。」
B:「ありがとう、なんだか首がスースーしてまだ慣れないよ。〇〇ちゃんのそのスカートもかわいいよね、よく似合ってる!」

テストで高得点をとってみんなの前で先生から褒められた場合、
A:「当然です。勉強頑張りましたからっ!」
B:「いやー、たまたま直前に見てたところが出て、運がよかっただけです。」

Bの方が断然好感度が高いですよね。逆に逐一Aのような反応をする人は、語ったことが事実だとしても周囲から疎まれる危険性が高いかと思います。

普段私たちの多くは褒められたときに謙遜したり、褒め返すことで自分だけが高くならないようにバランスをとり周囲との人間関係を保っているのです。

「能ある鷹は爪を隠す」という表現からも分かる通り、努力や善行はあくまで自ら大っぴらにしない前提で称賛に値するという文化が少なくとも日本では根付いているのでしょう。

ではヒーローの場合はどうでしょうか。
目立つ衣装で派手に登場して、それこそひけらかしているじゃないかと思われるかもしれませんが、違うのです。

なぜなら変身している限り、アンパンマンと同様に変身型ヒーローも、いつどこからどう見てもヒーローで、「善いことしかしない人」として人々に認識されている存在だからです。

先ほどの能ある鷹で言うなれば、もはや鷹ですらなく存在そのものが爪なので、まず隠すことが不可能ですし、隠すことを期待すらされないのでひけらかそうなんていう下心を読み取る人はいないはずです。

さらにはヒーローにとっては相互に作用し合う人間関係は悪者のほかないので、気を遣って謙遜や、褒め返すなんて面倒くさいフォローの必要もなく、爽やかに手を振って帰っていけばいいのです。

変身型ヒーローの将来


と、ここまでいろいろ考えてきましたが、実はこれらがすべて覆されてしまうヒーローが存在していたのです。


それは、女子ヒーローです。

私が小学生時代流行ったのは美少女戦士セーラームーンでしたが、今だとプリキュアが人気なのでしょうか。

彼女たちしっかり変身してコスチュームも変わるのですが、顔は丸出しです。

アメコミの女性ヒーローたちの中にはマスク姿の人もいますが明らかに少数派ですし、コスチュームは機能よりもデザイン重視、端的に言えばセクシーな印象を受けます。

これはどういうことなのでしょうか。

彼女たちにとっては身バレを覚悟してまでも勝るのがあるのかもしれません。
まさに『KAWAIIは正義』です。

いや、もしかするとこれは彼女たち自身ではなく視聴者むけに、敢えてKAWAIIを隠さないよう配慮された結果なのかもしれません。

しかしそうなってくると雲行きが怪しくなってきます。

そう、「なぜ女性ヒーローだけが容姿を強調した変身を強いられるのか」という新たな放送倫理違反を申し立てる人が出てくる可能性があるのです。

もしかすると近い将来、ごっつくて燻銀なコスチュームに身を包んだ可憐な女子ヒーローが私たちの世界を救いに現れるかもしれません。



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