法句経を学ぶ(序文)

【仏の道:遠望・近見】 (96)


今日から、学ぶ「法句経」は「ダンマパダ」(Dhammapada)の名でも知られる最も古い仏典の一つである。パーリ語で書かれており、原語の”dhamma"は「法」"pada"は「言葉」を意味する。世界的仏教学者で知られる中村元先生は「真理の言葉」と訳されている。

日本仏教界では両方、用いているようだが、「法句経」は漢訳の翻訳、「ダンマパダ」はバーリー語経典からの訳で、本文の意味・内容は全く同じ。仏教の基本的教えを短い詩で伝えたもので、全二十六章、423節からなり各節ともに格調高い詩偈である。

私は、90歳を迎えた年に仏教に強い関心を抱くようになり、たまたま手にしたのが中村元先生の翻訳された「真理のことば」であった。そして出会った【 第11章 老いること 】の最初の言葉に驚いた。 

    「何の笑いがあろうか。何の歓びがあろうか?──
    世間は常に燃え立っている のに──。
    汝らは暗黒に覆われている。
    どうして燈明を求めないのか? (146節)

    「見よ、粉飾された形体を!
    (それは)傷だらけの身体であって、
    いろいろのもの が集まっただけである。
    病いに悩み、意欲ばかり多くて、
    堅固でなく、安住してい ない」( 147節)

    「この容色は衰えはてた。
    病いの巣であり、脆くも滅びる。
    腐敗のかたまり で、やぶれてしまう。
    生命は死に帰着する」(148節)

    「秋に投げすてられた瓢箪(ひょうたん)のような、
    鳩の色のようなこの白い骨を 見ては、
    なんの快さがあろうか? 」(149節)

    「骨で城がつくられ、
    それに肉と血とが塗ってあり、
    老いと死と高ぶりとごまかしとが
    おさめられている」( 150節)

    「学ぶことの少ない人は、
    牛のように老いる。
    かれの肉は増えるが、
    かれの知 慧は増えない」( 152節)

    「家屋の作者よ!
    汝の正体は見られてしまった。
    汝はもはや家屋を作ること はないであろう。
    汝の梁はすべて折れ、
    家の屋根は壊れてしまった。
    心は形成作用 を離れて、
    妄執を滅ぼし尽くした」( 154節)

 どんどん私の心に食い込んできた。病苦に加えて深まる老いに得体の知れぬ不安を覚えている身に直球が投げかけられて来た想いがした。これがキッカケで坐禅を組み道元禅師の『正法眼蔵』に導かれ、仏道に心が向いた。そして私は、これまで道元禅師の『正法眼蔵』に頼って仏教を学んで来た。

 ここで私は、改めて、「ダンマパダ」を全編、読み直し、仏教の原点に立ち戻って釈尊のお言葉を吟味したいと思う。

 以下、日本最初の荻原雲來師の名訳(ゴシック体)を主に、中村元先生訳の「ブッダ 真理のことば」(明朝体)を併記して語義を確かめ、更に友松円諦師の訳註書等を参考にしながら学ばせていただく。
荻原雲來師訳の文語調は、「法句経」の原典が詩偈であることから原著の韻律を尊重しておられる点に特徴があると思うので敢えて併用させていただくことにした。

「ダンマパダ」を読む上で大事な心得は、今では「お経」とされるこの書は、実は仏教成立以前の人間・釈迦牟尼が説かれた人の道の教示である点にある。このことは中村元先生が何度も強調されている。その言葉には後年、練り上げられた仏教としての教義はない。最も素朴な人間の声で語られていることに留意したい。

中村元先生の講義「ダンマパダを読む」がネット上に公開されている。コト始めにまず、それを拝聴し、その学び方を掴んでおきたい。



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