4 ”明治150年”に思うこと

                 「吉備野庵爺の問わず語り」(4)

                                     4  ”明治150年”に思うこと

私が生きた1930年から2022年にかけての約1世紀。世界は、いわゆる先進国の覇権争いで大回転した。遅れて登場した日本が大暴れし、変化は日月単位で目覚ましく移り変わった。国民誰もがその荒波に翻弄されて、それこそ文字通り、「地獄から天国」を経験した。

人がその1代の個人生活でこのような「地獄から天国」を経験出来るなど、そう多くあるわけではない。私のように「昭和ヒトケタ」、つまり1925年から1935年に生まれた、現在、96,7歳から85,6歳の人々も同じ体験をした。

その晩年に夢の”天国”「福祉国家」を享受している現在、これまで身を持って体験した事柄を語っておくことも大事だと痛感する。とりわけ我が子・孫、そして何よりも愛しい曾孫たちに、その苦難の体験を語っておきたい。君たちが今を生きる知恵に役立てて欲しい。

令和元年に叫ばれたのは「明治150年」だった。明治維新で270年続いて徳川幕府が崩壊し、近代国家に衣替えした。改革派のサムライの生き残りが新政府を結成、「富国強兵」を国是とし、西欧世界に倣って憲法を制定して天皇陛下を元首とする「大日本帝国」を宣言した。

そして間も無く「日清戦争」「日露戦争」と二つの戦争で勝利し、世界の帝国主義覇権争いに巻き込まれて行った。だが予想もしなかったアジアの果て極東の新興部族社会が二つの戦争で勝利して世界が驚嘆した。

ちょんまげを切り、命より大事にしていた刀剣をお上に差し出し、サムライも百姓、町民に同列の庶民になったが、突然、大きな富を手にして後に「大正デモクラシー」と呼ばれた自由平等思想に被れ、束縛のない奔放な生活を楽しんだ。

ところが西欧列強の英国、オランダ、フランスなどがアジア諸国を次々と植民地化することに危機感を抱いた帝国陸軍が「自衛」を明文に軍備拡大し、昭和初年には大日本帝国は大きく欧米帝国主義とモロに覇権争いに巻き込まれることとなった。

すなわち、私が生まれた昭和5年(1930)の翌年、日本陸軍は満州(現中国東北)に侵攻、満州民族による「満州国」というカイライ国家を創設し、植民地化した。これに当時の「国際連盟」が猛反対したが日本政府は即時に「国際連盟」を脱退し一気に軍事大国を目指すようになった。

そして昭和12年(1937)に中国北部、北京郊外で軍事衝突が発生。いわゆる「支那事変」が勃発し、それが「大東亜戦争」(第二次世界大戦大戦のこと)に拡大し、緒戦は戦勝に次ぐ戦勝で一時は太平洋全域を支配したが、間も無く連合軍の総反撃に遭いあえなく敗戦。広島・長崎に原爆が落とされ、無条件降伏した。

先ず、この”明治150年”前半の歴史、我が父と祖父の時代を頭に入れて置いて欲しい。私は、これに続く”明治150年”後半を生きて、身をもって”地獄”の国と”天国”の国、二つの国家に生きる体験をした。次回にそれを語る。

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