7 ローマ教皇にお尋ね、原爆投下責任は

私は、国家間の戦争に、それぞれ従軍聖職者がつき、その行為を”神の義”である、と「錦の御旗」を掲げていることに強い違和感を抱いて来た。その国の宗教が、キリスト教、イスラム、仏教、いずれであっても、出陣に際して神の祝福と加護を祈り、自ら行う暴力を”聖戦”と称えて兵士を鼓舞する。

キリスト教国の人々は、イスラム過激派のジェハードを厳しく批判する。だがキリスト教国は中世の十字軍以来、今日に至るまで「宣教と聖戦は一体」である。現在では軍隊に専属の教会、従軍牧師が組み込まれ、自らが戦う戦争はすべて”神の義”のための聖戦であるとする。

原爆投下も例外ではなかった。従軍牧師の祝福と称賛を受け「神の大義」のため出撃、それが無事、任務を終え、帰還すると牧師は祝福のミサを行った。だが、それは、キリスト教徒が同胞信徒を虐殺するものであった。その事実は語られない。

後年、私は広島・長崎、両方に太平洋の島、テニアンの米軍占領基地を飛び立った爆撃機に祝福のミサを授ける従軍牧師の様子を映画記録で見てショックを受けた。それはキリスト教徒として教会の日曜学校で育った私の目に信じがたいものであった。

忘れもしない。2003年(令和元年)11月24日(日)、広島を訪れたローマ教皇フランシスコは「戦争のために原子力を使用することは現代において犯罪以外の何ものでもない」「核兵器を保有することもまた倫理に反する」と訴え、世界中の人に広島の人々の「戦争はもういらない」と声を合わせて表明すると述べた。

「わたしは平和の巡礼者として、この地の歴史の中にあるあの悲惨な日に、傷と死を被ったすべての人との連帯をもって悼むために参りました。いのちの神が、(わたしたちの)心を、平和と、和解と、兄弟愛へと変えてくださるよう祈ります。」との公式メッセージも残し、それは、現在も広島平和記念館の燭台に残されている。

だが、私には、それは、実に空々しく響く。一体、その災いは、誰が誰に行ったのか? この世におけるこの”神の代理人”は、理解しているのであろうか?  それとも自らの過ちを自覚出来ないのであろうか?

原爆投下の原罪は、広島の後、8月9日の昼、長崎を襲った2発目が、より鮮明に物語っている。ローマ教皇は、この事実を認識すべきだ。我々、原爆被爆者がキリスト教指導者に知ってほしい厳然たる事実が、そこにある。しっかり認識して欲しい。そして、その釈明こそ伺いたい。

1845年8月9日の早朝、太平洋の島、テニアンの米空軍基地を飛び立った爆撃機は標的の日本・長崎市に向かった。従軍牧師はこれを祝福し、兵士たちは敬虔な祈りを捧げて神の加護を祈願した。

標的の長崎市は、日本では数少ないカトリックの聖地である。400年ほど前に、ここでキリスト教への大迫害が起こり、多くの信徒が殉教した。それにもめげず、信徒たちはその地に慰霊の長崎天主堂教会が建て現在に至るまでその信仰を守り続けている。

殉教者の子孫たちは今も先祖の信仰を受け継ぎ、この日も教会に集っていつも通りにミサが執り行われていた。そして1945年9日午前11時2分、祈りの最中に、頭上に原爆が落とされ、神父・信徒共に、全員が即死した。

長崎市内には多くの教会がある。事実、ここはカトリックの町である。他の教会でもミサが執り行われていてすべて破壊され、信徒たちは被災し、多くが死亡した。従軍牧師の祝福を受けた米爆撃機は、カトリックの教会の真上原爆を落として教会と町を徹底的に破壊したのである。

虐殺されたり、猛火の中を逃げ迷ったのは、広島と同じく大半が無辜の老若男女、一般市民だった。しかし、皮肉にもその標的はミサの最中にあったキリスト教会。結果としてキリスト教徒によるキリスト教徒の虐殺となった。だが任務を終えた爆撃兵士は、祝福と栄誉を受け何も疑うことはなかった。

これが長崎原爆被災の真実である。決して忘れないいただきたい。クリスチャンである米空軍爆撃隊員が神のご加護を信じて長崎を爆撃し、イエス・キリストの教会を破壊し、その中で祈りを捧げていたキリスト教信徒を殲滅した事実を。これらのことは、すべて、従軍牧師による”神のご加護の下”のお墨付きで行われたのである。

教皇フランシスコは、長崎の被爆者を前に「戦争のために原子力を使用することは現代において犯罪以外の何ものでもない」と言った。だが、その犯罪を問われるべきはあなたの従順な従軍牧師とその信徒兵士、黙認しているあなた自身ではないのか? 

先ず、この真実を直視して欲しい。戦争に正義はない。それを立証できる悲しい事実である。私は、あなただけではない。世界の宗教家に言いたい。「聖戦」掲げて、為政者に寄り添う戦争翼賛の詭弁はもうやるべきだ、と。
全ての宗教の黄金律は「汝、殺すなかれ」 

この神の教えこそ、従うべきであろう。特にキリスト教の神は言わた。「汝の敵を愛せ。自らを愛する如く」と。聖職者が、この神の戒律に背を向け、空々しい詭弁を弄することは、決して許されないと思う。

同じような事例が広島原爆投下でも発生している事実も知って欲しい。ヒロシマ原爆の本質をも直視していただきたい。核兵器は敵も、味方も区別しない、世界を破滅させる究極の悪魔の兵器であることを。

私の日記には、次の3人の米兵の名前が記されて残っている。

Charles,O.Baumgarther  Sgt. 35526892 T43-4-O  30 yrs
Hugh,Henry Atkinson Sgt. 39214204  25 yrs 
James,M. Ryan 785427  T43-44A
Elison, Buford J. 38368550 T43-430
チャールズ・O・バウムガーター軍曹 三十歳。認識番号 35526892 T43-4-O
ヒュー・ヘンリーアトキンソン軍曹 二十五歳、認識番号 39214204
ジェームス・ライアン 認識番号 785427  T43-44A
エリソン・バフォード 認識番号 38368550 T43-430

私は、これらの旧米兵達の名前を忘れることはない。3人の遺族には戦死公報で、「第二次世界大戦で日本攻略中、名誉の戦死を遂げられた」と伝えられ、遺族達も長く、それを信じていたが、事実は、友軍のヒロシマ原爆で被爆死していたのである。

「ヒロシマ原爆、米兵二人も被爆死していた」  
今からちょうど50年前の1970年(昭和45年)7月10日の毎日新聞朝刊は大きく、その事実を報道した。「あり得ない」と強く否定する米・国防省を、翌日夕刊で「さらに21人の捕虜が被爆で死んだ」と、続報、これを提携関係にあったUPIが米国に伝えて日米両国民に大きなショックを与えた。

UPIは、米国内で調査を開始、ワシントンの国立記録文書保存所で米兵捕虜の名前を確認し、それを米国政府が密かに遺族・近親者に通知していた事実をつかみ毎日新聞に報道した。(70年9月11日付け夕刊)

この一連の報道は、当時、広島大学で勉強していたインドネシアなど東南アジア留学生や徴用で軍事工場に配属されていた韓国・中国の人たち、更にはドイツ人牧師や亡命中の白系ロシア人など多数の外国人が被爆死していた事実も掘り起こし、被災者に広範な国際的広がりのある事実を初めて浮かび上がらせた。

 

実は、世界を駆け巡った、この一連の”トクダネ”報道は、私が毎日新聞広島支局員時代に”原爆担当記者”として掘り起こした調査報道。記者として一番、記憶に残る仕事であった。

後に毎日新聞社史「毎日の3世紀」下巻にも「米兵もヒロシマで被爆死」と題して、このトクダネ記事に関する評価が掲載されている。

原爆投下は、人類史上、初めて実行された非戦闘市民を対象にした大量虐殺である。アメリカは、しばしば「戦争を早く終結し、大事な人命を救うため」と弁明する。それは、まるで、かつてオウム真理教が主張した「慈悲殺」と同じ論法に思える。この詭弁、絶対に首肯できぬ。

核爆弾を落とせばどうなるか。ヒロシマの体験は、敵、味方、兵士、市民、女、子どもの区別亡く、一瞬にして、そのすべての命を奪無差別大量虐殺です。その実体験は昨日、紹介した竹本成徳氏の証言でも明らかであろう。

是非、ゼヒ、みなさん、心に刻んで下さい。
 広島平和公園の原爆慰霊碑には、東南アジア各地から勉学に来ていた若い青年達、軍事徴用された韓国、中国、台湾人、それに旧敵国兵であったアメリカ兵もが友軍機が落とした原爆で被爆死し、広島の被爆死犠牲者と共に眠っていることを。

核兵器は、敵、味方、兵士、一般人、女、年寄り、子ども、あらゆる人を区別しません。人類の破滅をもたらす、最終兵器、悪魔の爆弾です。これを用いる正義は絶対に存在しません。


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