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永遠に相容れない存在についての思考

こんにちは。オタクです。
自分は定期的に昔ハマっていたことにハマり直すふしがあるんですが、今がまさにソレ。

仮面ライダーガッチャードって、知ってますか?

わたしは特撮が本当に大好きで、平成作品はほとんど履修しています。特に、わたしの人生は2014年にあると言っても過言ではありません。

今回、ガッチャードにハマってしまった経緯としては。

  1. ズキュンパイア役の山中柔太郎さんが見たい!

  2. でも途中から見たってストーリー分かんないし最初から見よう!

  3. 好きなタイプのキャラクターがいる!!(ドボン)

良い感じに、ホップ・ステップ・ジャンプだった。怖い。

そんな軽やかなステップで入ったガッチャード。令和に入ってから特撮に全く触れていなかった人間なので、過去の自分とは特撮に対する姿勢が大きく変わっていることに気づきました。

主人公の善性が、”つらい”。

だって社会に揉まれちゃったら、こんな純粋に「正義」で「光」で「愚直な心」の人間なんていないんだもん。
なんて素敵なキャラクターなんだ、という気持ちと共に、加齢によって涙腺もガバガバになってしまっているので、なんかストーリーの狙いであろう筋以外の何気ないワンシーンで大泣き。正気の沙汰じゃない。

そんな主人公のことは大好きなんだけど、わたしが好きになるキャラクターは、大体「主人公補正に絶対勝てない2号ライダー」。今回は2号じゃないらしいけど、そう、仮面ライダーヴァルヴァラドこと、黒鋼スパナさん。貴方のせいで沼のどん底にいます。ありがとう。

わたしが平成で一番好きなキャラクターは、仮面ライダードライブに登場する2号ライダー、仮面ライダーマッハこと、詩島剛さんです。
そう、彼もまた、歪んだ仮面ライダー。善性と言い切るには難しい、”正義”のヒーロー。

そんな彼らと主人公は、互いに相容れないわけではなく、主人公の伸ばした手を取ることができない、一方的な相容れなさで。
わたしはそこに、仮面ライダーという「現実から遠い話のこと」の中にある「現実」をひしひしと感じるわけです。

主人公との相容れなさを、自分でどうにか消化して飲み込んで、共闘なのか相対するのか。
多分、特撮の、リアルそうでリアルじゃない部分を愛しているのかも。ドラマなんだけど、ドラマじゃない。ファンタジー小説の実写化みたいなところがある。そんな感覚です。

そんな感覚を抱えながらも、つい見てしまう魅力がそこにはある。いつの時代も変わらないなあと思ったりした、そんな日になった。

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