陳氏太極拳図説凡例(学拳須知)

一、太極拳を学ぶものは不敬ではならない。不敬であると、外は師友に対して傲慢となり、内は身体が緩慢となる。心が引き締まらずにどうして芸を学ぶことができようか。

一、太極拳を学ぶものは狂ではならない。狂であると、いざこざを起こしてしまう。手が狂ではならないだけなく、言動も狂ではならない。外見は必ず儒学者の風貌を帯びなければならない。そのようでなく、外に狂であれば必ず中を失う。

一、太極拳を学ぶものは満足してはならない。満足すると損を招く。俗に、天の上にはまた天がある、と言う。謙遜して虚心に人の教えを受けることは、楽しいことではないだろうか。(善を好むものに)善となることを告げるだろう。多くのことを学ぶことを善と思うことは、大いなる善である。

一、太極拳を学ぶものはあらゆる着を細心に吟味しなければならない。ある着を吟味しなければ、その勢の要点は最後まで曖昧になってしまう。前の着からのつながり、次の着へのつながりの部分に最も心を込めなければならない。ここに心を込めなければ、来脈が真とならず、転関も霊動せず、一着は単なる一着となってしまい、最初から最後まで一気通貫できない。一気通貫できなければ、太和の元気にいたる道を問うことは難しい。

一、太極拳を学ぶものはまず読書して勉学しなければならない。書の理が明らかになれば拳を学ぶことも自然と容易になる。

一、太極拳を学ぶとはすなわち陰陽開合を学ぶことである。自分自身の体の中に本来の陰陽開合が備わっているのであり、そrは教師が増やしたり減らしたりできるものではない。その本来備わってたものを復すことができれば、教育は終わる。※教育とは規矩、すなわち大中至正の理を教えることである。

一、この書はまだ出版しておらず、誤字や脱字があるやもしれないため、読者による改正を厭わない。

一、太極拳には大きな働きがあるわけではないものの、現今の列国が覇を競う時局を鑑みて、もし武芸が無ければどうして国を守ることができようか。この書を手に取り、これを陸軍の歩兵訓練に用いれば、我が国にわずかながらの補填もできるだろう。もしも人々皆が習えば、敵と戦う場面に遭遇した際に、たとえ敵が強かったとしても、こちらをどうすることもできないだろう。これもまた国体を守るための一つの道である。心あるものは下賤のものが言うことだとして捨てるようなことはしないでほしい。

一、太極拳を学ぶものはこれを悪事に用いてはならない。もし悪事に用いてしまったら、天はそのものの魂を奪い、神仏の加護を失うだろう。ましてや天下がどうしてそのものを受け入れるだろうか。

一、太極拳を学ぶものが人を凌辱・威嚇してはならない。凌辱と威嚇はあらゆる罪悪の魁である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?