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わーい!!

ずっと欲しかったんです。このTシャツ。
ちょっと職場で理不尽に怒鳴られ、意味が分からず悲しんでいたら中国人の彼が欲しがってたTシャツを買ってくれました。
優しっ。
ちなみに理不尽に怒鳴られた後に、トランプ大統領の記者への態度を見ていると、まじで院長とそっくりすぎたんでびっくりしました。
あー、じゃ仕方ないね。と考えることにしながらちょっと転職の話を進めてます。転職しようかどうか悩んでたので、いいきっかけをくれてありがとう。

犬は棒でギャンって鳴かせるくらい殴らないとダメなんだ。とか、気に入らない患者さんには、あなたは最後は苦しんで死ぬよ。今から覚悟して。
とか、自閉症の男の子に、お前のその態度はなんだ、座り直せ!とぶち切れているような医者は、私の中ではただの医師免許を持った老害でしかないので医者でもなんでもないです。薬の量多すぎて中毒症になって他の病院の医者から薬が多すぎだと怒られた時もあったしね。実害出てるのになぁ。
おっと、もう疲れてるんだな私。

とにもかくにも、ハスキー犬が好きなんです。
私が小学4年生の時にきた犬がハスキー犬でした。
茶色い毛の目の青い、散歩と雪が大好きで、全然泳ぐことは出来ない子でした。
当時もののけ姫が流行っていたので、近所の子どもたちからは山犬だー!と恐れられていましたが、すごく人懐っこい子でした。
近所のゴールデンレトリバーの子と仲良しで、よく一緒に散歩に行ったり、一緒に取っ組み合いで激しめに遊んでいる様子は見られました。
そんなハスキーの子が肝臓の病気を患い、徐々に動けなくなり、ずっと外に住んでいたけれど、家の玄関に最後は住んでいましたね。
家の中に住んだことがないので、おしっこパットをベッドにして、おしっこパットのない所をトイレ認定して、毎日母が玄関を水洗いしてたなぁ。。
外犬でしたが、結構自由な移動スペースはあったんだと思います。繋いでもいないし、柵はあったけど家の外周は自分で移動できるようになってましたし。
父の知り合いから譲ってもらった子で、兄弟がいなかった子でした。実はハスキー犬って中型犬らしいのですが、もうなんでしょう、大型でしょ?くらいには大きかったです。一人っ子だったからなんですかね。来たばかりの時は、外で一人で寝るのが可哀想だからと父が寝袋で車庫で一緒に寝ていたのを思い出します。
2晩くらい。当時は祖母の反対で犬を家の中で飼うということが出来ませんでした。ただ時折家の中には入れてたんですが、外が家だと思っているのか、ある一定時間家の中ではしゃいだ後、面白くない、帰る。というように玄関の前から動かなくなり、ドアを開けると嬉しそうに外に出て行く子でしたね。
暑いからと、変に母が毛をハサミでカットしたらその部分が結局死ぬまで変に短かかったなぁと思います。
散歩中に名前を呼ぶと振り返り、散歩楽しい?と聞くと笑う子でした。犬って笑うんだ。
北海道の雪国だったので、道路沿いの壁側には雪が一定に積もっていて、その上を走らせる姿はすごく楽しそうで、今でも鮮明に思い出せます。
亡くなったとき、私は遠方だったので死に目にも会うことができず、土曜日だったので火葬場的なところも休みで、仕方がないから母がそりに乗せて車庫に置いといたんだそうです。冬だったし、とのこと。
手足をピンっと伸ばしたまま、ソリの形に合わせて死後硬直してしまったものだから、人くらいの縦幅になってしまい、ダンボールを作ったりなんだりすごい大変だった、とのことでした。すごい悲しくて、毎日泣いていた私でしたが、その話を聞いたときは想像して少し笑ってしまいました。
この時期になると思い出しては悲しくなってしまうのは亡くなった時期が冬だからなのか。
いつまでも大好きだよ。

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