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わたしは新海作品の言葉がすき🎞『すずめの戸締まり』

映画『すずめの戸締まり』を観てきた。
『君の名は。』よりもずっと、3.11が直接的に描かれていた。

美しかった。
新海版『時をかける少女』だろうか、それとも『ハウルの動く城』だろうか。
そんな感じ。不思議な出来事と、死生観、そしてそこに3.11。

会いたい人に会いに行く、新海作品がわたしは好きだ。
ちょっと迷惑で未熟で、個人主義なところがある主人公は、とっても人間らしい。ヒーローにはなりきれない要素がある感じ。

”災いが日常に張り付いた世界”は、まさに現代日本そのもの。
3.11当時の記憶がはっきりとあって、被災地に行ったことがあるわたしにとっては、
古傷をえぐられたような気分がする作品だった。

だから心の準備が必要だったかもしれない。
「震災の描写があります」という一文が冒頭にあったらよかった。
被災したわけではなわたしでも、被災地の風景を思い出して辛かったから。

でも、3.11の記憶がない世代が増え、新型コロナという新たな脅威、
新たな喪失を前に記憶が風化しつつある今、
この作品がアニメという形で届けられる意味はあったと思う。

草太の「死が隣り合わせであることはわかっています!それでも、一日でもいっときでも生きながらえたいのです」という言葉は強烈だった。

被災の経験がなくても、3.11の経験がなくても、周りの誰かが亡くなった経験や、
大きな事故や事件に対してショックを受けたことのある人に響いたのではないだろうか。
最近の記憶ならば、梨泰院の事件だってそう。

死ぬのが怖くない、と言っていた主人公すずめの心にも響いて、
彼女の心の氷を溶かしていったのではないだろうか。

草太は、震災で亡くなった人の魂の声を聞いただけではなく
生き残った人たちの声も拾い上げたように思う。

「死ぬのは怖い」それでいい。
人が死んでいった事実を、悲しんでいい。

すずめは、”ただのラッキーで生き残っている”わたしたちに教えてくれる。

あなたは大好きになれる人に出会えて、
あなたを大好きになる人にもたくさん出会える。
今は真っ暗闇に思えても、あなたは光の中で生きている。

映画『すずめの戸締まり』(筆者の記憶で書き出したため、異なる可能性あり)

「前を向け」とも、「立ち上がれ」とも言わない、「ただ生きてみろ」と言うこのメッセージは、
わたしの中では『私の名前を知って』という本の中のシャネル・ミラーの陳述書と重なる。

生きる希望を与えるためとかいう大げさなものではなく、
ただその人が感じたままに出てきた言葉。そんな感じ。

一年前に性犯罪に遭って、
「わたしは死んだも同然」と文字通り絶望したことのあるわたしにとっては少なくとも、
シャネルが表現した、ただそこで光り続ける灯台のように、泰然自若とした主人公の姿が映った。

映像美と高い音楽性がしばしば評価される新海作品だが、
わたし個人はずっと、その言葉が好きだ。
伏線が張り巡らされたプロットも含め、
ちょっと青臭い、もはや真っ青なくらいの新海作品の言葉が好きだ。


もっと電車乗って人間つれづれ書きます🚃