見出し画像

ファミマ20万人の集合的無意識





足立光CMOの本質

クリスチャン然としていないが、名(光)は体を表している。キリスト原理主義の家系の子孫である。ビジネスマンとしての特性としては、固定観念・常識にとらわれずに、実を取るタイプで、本質を突く施策を行う。








画家・横尾忠則はアホに成る修行をしている。一見すれば意味不明である。頭を良くする努力が一般的だからだ。





江戸時代に黒住宗忠という民間の神道家がいた。この方は本物である。時の天皇からも認められている。横尾忠則のアホに成る修行のコンセプトは黒住宗忠がルーツである。母方の宗家が黒住教だった。



魂の誕生日: ITスペシャリストが語る芸術 (air-nifty.com)










ファミマがトップに成る為の努力とは2つである


①どこよりも旨いおにぎりを作ること
②どこよりもいい営業をすること



私は②を研究してきた。判明したことは、コンビニ史上、コンビニ営業は全く進化してこなかった。デジタルはアップデートされ続けているが、アナログはアップデートされていない。人材難が追い風に成りダウングレード基調である。駅員がスイカにディスラプトされた様に。

ただ、人の力で日商は最大化できるのは事実としてある。コンビニ営業とはあらゆる営業の中で最もイージーな領域であり、一回、勝ちパターン・勝ち筋の営業手法を開発すれば、あとはその手法を20万人が模倣し1万6000店舗に横展開すれば全体最適化できる錬金術に成る。

コンビニ営業の本質とは、カウンター内で顧客と対面して行う営業である。何度も人と対面して行う営業である以上、先ず初めに最適の型を練習して、その最善の型をひたすら繰り返せば商売繁盛をエンジニアリングできる。

人と対面する以上、ある程度の緊張が必然的に発生する。この緊張はどうすれば解消できるのか?それを論理的に科学的に解消する方法論というものが存在する。



緊張に対するアプローチとして、この本で書かれている技術は的を得ている。実質的である。その手法とは、この本の表紙にあるように、馬鹿馬鹿しい踊りやポーズを取ることである。心は体からしか変えられないというコンセプトである。






商売繁盛を科学的にエンジニアリングできるか?できるだろう。だがそのエンジニアリング手法はコンビニ史上、誰も体系化してこなかった。

スポーツは練習するが仕事は練習しなくていい。いや仕事も練習するべきである。ではコンビン営業の練習方法とは?

①就業前にダンスをアウトプットすること
②ありえない大声をアウトプットすること

ニコラテスラはエジソンに勝った電気のエンジニアであるが、元気もエンジニアリングできるはずである。その元気のエンジニアリング手法が①と②である。

まぁ、やらないだろう。だがやれば日商は最大化する。やれば年収が上がるが、「別に今のままでも食べていけるし」というムードが2022年である。









「被り物」は理に適っている。合理的である。心をインスタントに変えるツールである。だが「真面目にやれよ」というムードが2022年である。





阿呆連



阿波踊りこそ意識改革である。



ファミマがトップに成るには

①旨いおにぎりを作ること
②店員がアホになること


結局、朝礼で大きな声で唱和をし、ダンスを踊ることが、商売繁盛の科学的手法である。だが人は腹落ちしないと動かない。馬鹿馬鹿しい事が実は真理である。馬鹿馬鹿しくて当たり前なことがブレークスルーを起こすのだが。それが経営のジレンマなのである。






幸せの青い鳥は家の中の鳥籠にいた。これは普遍の真理である。結局ファミマは、旨いおにぎりを作り、皆で元気に顧客に挨拶すればいいだけなのである。だが、DXの方が本当っぽい。


①仕事も練習は必要
②それを腑に落とさせる
③練習メニューの確立
④ライザップや武田塾のビジネスモデルの様に、練習自体をマネージメントする


ファミマの敵

①努力しなくてもそこそこ自然に売れてしまうこと
②別に2位でも良くない?


だが日商の最大化・商売繁盛のエンジニアリング手法だけは存在し、それによりオーナーの年収、又はスタッフの人生の最大化は実現できることは間違いはない。

盲亀の浮木という言葉があるが、今のファミマスタッフの働き方では、ファミマスタッフは馬齢を重ねるだけで人生が終わるのも間違いない。



「1人1人心を込めて接客する」と言えば、「欧米か!」のツッコミのように真面目か!とバカにされるのが2022年である。だが百人単位の人間に毎日心を込めて接客することは自分の幸福を実質的に建設していることは間違いはない。

また逆に、粗悪で素っ気ない接客を毎回シリアルに続けることは、スタッフ自身の運を捨て続けることになる。

アホに成る練習をすること。顧客にわざと負けて勝たせること。気持ちよく帰らせること。それは投資である。これこそ本質的な働きかたである。

人生は苦である。ブッダの言葉である。コンビニは舐められる。舐められることは初期設定化されている。舐められることを前提にする。舐められることをどうマネタイズするか?という方向に頭を使うのが勝ち筋である。




#TikTok




一見すれば、ただ社員と楽しんでいるだけ。だがこれが経営者としての本質的な施策である。経営者でも本質を見抜けない洞察力の無い経営者は多いが、CMOは本質を見抜いている。バズから逆算して商品開発をするロジックであろう。この踊りを踊るだけでも就業時の初動の接客に好影響は出る。商売繁盛を設計する具体的な練習である。問題なのはどう腹落ちさせるかである。踊ろうよ!と言っても間違いなく踊らない。






ここからはイエス・キリスト関連のリークである。








私にイエス・キリストの懐かしい顔を思い出させるような風貌の脳内の姿とありましたが、伊勢白山道さまは、約2000年前のエルサレムに、肉体を持ち受肉されてイエス・キリストさまのお近くにおられたのでしょうか。

または、神界からイエス・キリストさまに干渉されておられたのでしょうか。


。。。。天から観ていました。

これ以上は、まだ開かせません。

2013-08-29 19:19:44



「女は金で買える」という言葉だけ切り抜いて報道すれば堀江氏は冷たい人間に見えるが、実際に会えば堀江氏は普通に優しさもある人間である。あるセンテンスだけで全体を理解するのは不可能である。その人間の沢山の言葉に触れて有機的に点と点が線で結ばれて初めて、その言葉の真相が見えてくる。

「天から観ていました」


噴飯物だろう。だが本当に天から観ていたのだと思う。日々、文章を読めば有機的に繋がる瞬間が来る。Connecting The Dots。イエスキリストは真に愛の人であり善の人であり実在した人物であった。しかし神ではなかった。生身の人間であった。現人神。今、日本に2人いる。1人は天皇陛下でもう1人は伊勢白山道。

八百万の神々の中で1柱だけ人間に受肉できる神がいる。それはスサノオである。スサノオは海外ではミカエルと呼称されている。




伊勢白山道というペンネーム。実名を出せない理由がある。イエス・キリストは日本人だった。イエス・キリストの聖遺物からYAP遺伝子が検出されたという。この事実を世界は認めたがらないだろう。消されるだろう。何故、伊勢白山道はイエス・キリストの本質を見抜けるのか?それは天から観ていたから。




2022年2月28日のブログ記事一覧-伊勢ー白山 道 (goo.ne.jp)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?