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【ただひたすら信じて待つ。それだけ】

長男校の文化祭が近付いております。

コロナ禍で数年続いた入場者制限が今年は久しぶりに取っ払われるので、余計に盛り上がりそうで楽しみです。
 
毎年みんなで見に行くことが今や我が家の春の定番行事にもなっているのですが、長男がこの学校に通う日々も残り数年で終わってしまうかと思うと、寂しいと同時に時の流れの早さを感じます。
 
昨年もそうでしたが、今年も次男を引き連れて、この学校の素晴らしさを刷り込む気満々です。もちろん無理やり受験させるつもりはありません。簡単に挑戦出来る学校でもないので。

兄に比べてオールマイティな力を持っているようにみえる次男ですが、こと算数の“閃き力”に関しては今のところ兄の方が数段上のようです。
 
「算数オリンピック」や「中学への算数」で出題されるよう小難しい問題もあまり苦にせず、それなりに楽しめる。この学校に入るにはそのような算数の“偏り”が何より必要になるので、今後見極めていこうというところです。
 

ところで、
先日、こんなことを呟きました。


中学受験では並み居る難関校を全て合格という輝かしい実績を残した長男ですが、中学に通うようになってからは、今のところ特筆するような活躍はありません。
 
運動部にも属していないし(文化系の部活には週2~3回ぐらい通っています)、家ではひたすら学校の友達と通話をしながらオンラインでゲームばかり。
 
週末は日付が変わるまで起きていて翌日は11時近くまで寝ているという、見るからにぐうたらな生活をしています。”閃き力”の代償として得た、これも“偏り”のひとつかと思って特に悲観してはいませんが、親としては出来ることなら、この学校に数多いる”めっちゃ賢いクセにめっちゃ馬鹿”なことをやる先輩たちのように、今しか出来ない何か勉強以外のことで目立って欲しいなんて理想も持っていました。
 
 
ただ、たまに保護者会などで親が長男校に出掛けると、片道2時間の電車には大人でも毎度めげそうになります。「これ、毎日だと死ぬわ」なんて本気で思います。

ましてやあんな大きな荷物を抱えて通っている長男。


いやいや、これ以上何を望むというんよ。もう十分に頑張ってるやん。


思えば憧れだった第一志望であるこの学校に合格した時。嬉しさと同時に「こんな遠い学校に6年間本当に通えるのだろうか??」という不安がありました。

ましてや、高校1年までにすべての範囲を終わるとも言われている授業のスピードに付いていけなかったら地獄じゃないか??なんて。

「嫌になったらやめていいからね。いつでも行ける公立中学が近くにあるのだから」。彼にはそう伝えていますが、今のところ弱音を吐いたことは一度もありません。仕事などで父が駅まで送れない時も、全く意に介していないように見えます。

それだけで超優等生です。

もっと彼を褒めて、認めてあげないといけません。

 
思春期の子供がいったい日々何と戦って何に対して頑張っているかなんて、親にはなかなか分からないものです。そしてその頑張りが明確な成果に繋がるのが何年先になるのかも皆目見当がつく訳がないのです。

僕ら親に出来ることは、ただひたすら信じて待ってあげることだけ。

眩しい光を放つ周囲の誰かと比べて物足りないと思っても、それはあくまでも現時点でのこと。この先もずっと続く彼らの人生の中で、過去の何が正解だったなんてことはまったく先読み出来ないのです。


受験勉強も同じで出来て当たり前ではありません。ついつい忘れがちになってしまいますが、もっと遊びたい気持ち、好きなことだけしていたい気持ちと、子供なりに戦い葛藤しているに決まっています。

とにかく毎日健康で元気でいてくれる。この当たり前な様で当たり前じゃないことに感謝を忘れず。子供と共に親も成長出来るように。引き続き頑張っていきましょう。
 
それではまた!

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