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自分の中と外

2月といえば、1年でいちばん寒い月で、薄曇りの日々のイメージがある。お正月の晴れやかさから一変、節分くらいしかイベントはなく、バレンタインも万人がお祝いしたくなるようなクリスマスのような晴れがましさはなく、運命の明暗を分けるようなネガティブな印象の日でもある。

先日、幼稚園の三男のお友達の母親(昨年までアメリカ在住)が「2月は必ずなにかおこる月だから」とLINEに書いていた。何かがおこる、というのは決して明るい方面の「何か」ではないと思う。2月は日本だけでなく欧米でも「ろくでもない月認定」をうけているのかもしれない、と思った。

というのは前置きで。2月に入ってからも調子が悪い。この1年ずっとそうだけど。以前はここまで自分という乗り物を乗りこなせなかったっけなぁ?と不思議になる。今は、凸凹の道を馬車かなにか乗り心地の悪い乗り物にのってガタガタと進んでいるような、それくらい「自分」の操縦がうまくいかなくて困っている。

このマガジンに入れさせてもらっている通り、おおかたは「更年期」のせいだということにしているのだが、自分はもともとこういう体質だったんじゃないかとも思う。10年前から常に未就園児を抱えている状況では自分を俯瞰してみる余裕もなく、ただひたすら毎日を乗り越えてきていたが、末っ子が入園し、時間に余裕ができたせいもある。

とにかく自分を乗りこなすのが大変という毎日で、なにか賢者に出会うと藁をもすがる思いで「この不調をどうのりきるか」のアドバイスを求めてしまう。

先日も、ヨガの先生に「メンタルがどうも落ち着かない」という話をした。その先生は趣味で瞑想合宿にいくほどの、そういう人である。先生も以前は人の言動に不安になったり自信がなくて落ち込む、みたいなことを随分繰り返してきたそうだ。でもヨガに出会い、瞑想に出会い、随分助けられたという。

先生がいうには。

「不安になったり、以前の失敗を思い出してすごく嫌な気分になったりするのって、必ず元凶というのがある。それを破壊しないといつまでも変わらない。それに向き合うっていう方法もあるけど、効果的なのは無視することです。不安や嫌なことを思い出させているのは過去の自分で、その自分のいうことには『耳を貸さない』。無視する。自分に言われていると思わないこと。最初は難しいけど、それを繰り返しているうちにその元凶が小さく小さくなってくるんですって」

先生はそう言いながら、指で作った輪を少しずつ小さくして見せた。

最近は、そうして嫌なことを思い出したり、悪いほうに考えてしまいそうになるときは『耳を貸さない、耳を貸さない』と小さく念じている。さらに『今に集中する!』というのも付け加えてみたりしている。

これって、自己啓発本にも書いてあるような月並みな手法であることはわかっている。今までだと「とはいえ、絶対ネガティブなこと考えちゃうんだよなー!」と実践すらしなかった。ただ、今回は少し気持ちがちがってて、やってみている。

今まで、この更年期の過ごし方や症状についてつらつらと明確な結論もなくテキストにして吐き出してきたけど、この、「自分の声を無視する」という方法は、自分を唯一無二ととらえない、というところが大事なんだと思う。モヤモヤした気分の解決って、自分と向き合うとか、自分を掘り下げていく、ということでしかできないと思っていたが、自分の中にはたくさんの自分がいて、すべてが味方というわけではなく、わけのわからない自分や、すっごくイヤな自分が混在している。

この不調は自分と手をとりあって治癒するしかないのではなく、手をとりあってはいけない自分もいるってことだ。無視すべきイヤな自分は置いていかないといけない。だから、「自分」という言葉を使うのもなんか違和感がある。そういう不都合な自分は他人のような存在だ。頭の外にあると思いたい。

フワラーカンパニーズの曲の「地下室」という歌のサビを思い出した。

肝心な事は いつだって 自分の中にはない
大事な事は いつだって 自分の中にはない
斬新な事は いつだって 自分の中にはない
本当の事は いつだって 頭の中ではない 頭の中にはない

「地下室」/フラワーカンパニーズ

彼らの曲は思春期の時分や悩めるときにとても刺さることが多いが、これはずっとよくわからなかった。自分の中にはないのか?と

今なら少しわかる気がするな、と思う。自分は自分の中にしか居ないと思っていたが、実際は脳の中にいるのかもしれないけど、別な自分が自分の外側にもいる。歌詞の真意は、こういうことを言っているのではないかもしれないけどね。

自分の中と、外側。半径50センチくらいの間にいろんな自分が取り巻いていて、今はもうなんだかよくわからない、という状態だ。都合のいいやつだけは自分の中に入れてやるけど、めんどくさいやつは外だ。外にいろ。そのうち入れ替え戦があって、「やっぱりお前が好きだ!」ってなる可能性もあるだろう。自分の中は、そうやっていろんな自分を入れ替えることでいくらでも変えることができる、と想像してみると少し楽になる。

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