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イントロ

なんでこんなことになっちゃってるんだ?という思いなのです。
むかしからとてつもなく頑丈な精神だったわけではありません。
でもなんとかやってこれていました。

とても過酷な労働環境で働いていた20代のとき、鬱になる寸前、もしくは鬱っぽくなったことがありました。そのときも「まさかまさか」と。内科の医師に心療内科を勧められたときも突っぱねてなんとかやってきたんです。
結局そのあとは、転職して少しずつ自力で正気を取り戻しました。

それから子供を3人うみ、3番目があまり手のかからないところまできた矢先です。矢先といっても、それを象徴するような出来事があったわけではありません。それは少しずつ、少しずつ。でも確実に足首をつかまれてゆっくり海の底に沈んでいくように、です。

気がついたら、些細な人間関係に悩みに生活が侵食されていました。世間が狭いなぁ、わたしは、と呆れて笑うしかありません。母親になり、主に家事と育児をする毎日だと、世間も狭くなり了見も狭くなるのだと。

友達とバカ話をしたりしてなんとかすることもできるのですが、そのバカ話をしていた相手に対しても、なぜか不信感を募らせるようになったり。冷静に考えてみれば悪人でもないし、自分も善人でもないのですが。人の言動がやたらと気になる。そして自分の見え方がとにかく気になって仕方がない。

というわけで、優しい言葉の羅列してあるエッセイとかSNSの文章を読んで癒してみたりしました。そこで納得して、前に進むこともできそうではあったのです。でも、そのあたりで、決定的に傷つく出来事が起きてしまいました。俯瞰で見れば、よくある人間関係の衝突です。

そこから「人間、幸福になってしかるべき」という、動かぬ指標だったものがグラグラ揺らぎはじめてしまった。3兄弟の末っ子で、家族みんなに愛されて育ってきたわたし。幸せという言葉にする前から、もうすでにデフォルトでずっと幸せだったのかもしれません。

でも、今は決して幸せではない。もう不安で仕方ない。そんな状態になったのです。そして手にとったのは「カフカ」です。なぜカフカだったのか。暗い本なんて欲したことなかったのに。特に小説が好きだったわけではありません。単なるイメージです。「変身」しか読んだことありません。しかも読書感想文を書くためだけに。でも、人生はもしかしたら、こっちがデフォルトなのかもしれない、ここにヒントがあるのでは、と思ったんですね。

そうすると少し楽になれたからかもしれない。軸足がつねに幸せのほうに置いている状態だと、少し不安になったりするだけで「えらいこっちゃ」となる。苦しい。でもデフォルトは不幸なんだよ、ということにしてしまえば、幸せのときに感謝し、また不幸に落ちても「まあまぁ、こんなもんよね」と思えるようになるんじゃないかと。それくらい苦しいわけです。今も。

イントロのつもりで書いたのに、長くなってしまった。

調子のよい朝もありますが、たいてい気が重いです。PMSとか更年期とか、とりあえずそんな単語で納得させてきましたが、毎日となると気が滅入ります。だから何よ、という感じです。そこで気が晴れるまで、毎日のように思いの丈をフリーライティングで書きなぐってきました。自分の底が見えるところまで深堀りしまくっています。

やっぱり少し楽になるんですね。アウトプットって大事ですよ。月並みですが。そして、改めて書くことが好きなんだなーと思います。うまくはないし、決して取材を徹底させるようなライターではありませんが。好きなことを好き放題書くのはとても好きなのです。当たり前ですね。

今までテキストエディットに書きなぐってきた、ファイル名に日付だけをつけたものは、あまりに露骨すぎてとてもじゃないけど公開はできない。でも、もし同じような悩みの方がいたら、共感してくれるんじゃないだろうかと。公開することで書き方をマイルドにして、書くことで自分を傷つけることはなくなるだろうと。でも深掘りなので、えぐいこともありますけれど。

そんな気持ちでマガジンをたちあげてみました。ご静聴ありがとうございます。これから40代のリアルをお届けしたいと思います。たのしみ。



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