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「長男」

江戸時代を舞台にした小説が好きで、宮部みゆきさんの時代小説をよく読む。当時は、とにかく「長男」というものが別格だったらしい。

そもそも、今とは比べ物にならないぐらい、子供の死亡率が高かった。医学も発達していないし、衛生管理の概念も薄いから、乳幼児はすぐ病気に罹る。
保育園も幼稚園もない。とにかく、見られる人が子供を見る。ヤングケアラーの概念もないから、当然のように、子供が子供のお守りをする。そんな環境では、事故もたやすく起きてしまうだろう。
次男以降ははっきり言って「スペア」だから、無事に育ち上がったところで長男とは歴然とした上下関係があり、女子なんて何人いようと家督を継ぐことはほとんどなかった。そんなことが小説には書いてある。

そういった多産多死社会を経てきているわけだから、医学が発展して乳幼児死亡率が激減した今でも、日本人の無意識部分には「長男は特別」という感覚が刷り込まれているのかもしれない。
それでいて、法律の上では、きょうだいは性別や生まれ順によらず、全くの平等だということになっている。平等に分けていくとすると、二人の夫婦が二人ずつもうけたとして、分割分割で、財産は意識的に増やさない限り、目減りしていくしかないのだなと思う。
さらに私の実家は、祖父母が亡くなった時点で、たった一つのしかないビルと会社が、叔父と父の共有財産となっている。
現金で持っているのと違い、いくら権利が二分の一ずつあったって、いざとなった時に不動産は分けられない。叔父と父は共同で会社をやっていて、仲が良いのだろうと思っていたが、大人になった私が見たところ、実はそうでもないようだ。孫がいない叔父のことを見下しているような父だから、当然のことだ。

で、話は戻って、私が実家と絶縁するにあたって最後に話し合いをした時に驚いたのは、あの両親には、「弟は長男だから」という意識があったということ。
私のことは「嫁に行った」と形容していた。
そっか、私と弟は、最初から土俵が違ったのね。二人のきょうだいで、平等だと思っていたのは私だけの前提で、「嫁に行く娘」と「家を継ぐ長男」だったわけか。ああ、だから噛み合わなかったのか、と腑に落ちる部分もあったとともに、ますます理解できないなとも感じたのだった。

リベラルで先進的な教育!を謳っている私立(実際は違うよ)に子供をわざわざ行かせた張本人達が、実は封建社会の長男観にゴリゴリに支配されていたとは、なんて皮肉なことだろう。せっかく娘を小学校から女子校に入れて、この年代にしては珍しいぐらいナチュラルに男女同権の意識を持たせておきながら、自分達は完全なる男女差別主義者だったとは。

悪気はないのかもしれないけど、それが何だと言うのだろう。悪気がなくても、人を傷付けたら傷害は傷害だ。

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