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消えた成人式

ふとした瞬間に、ごく当たり前の子供時代を送れなかった事実に不意打ちされて、つらい。
なんて贅沢なと言われようとも、私の子供時代は押し付けがましさに満ちた、偏ったものだった。 
ミュージカル、歌舞伎、ホテルでのディナー、サマースクール。そういった「質の高い教育」と引き換えに、私は、地域に存在しない子供となった。
小学校まで一緒なら、「転校して他県に行った◯◯ちゃん」「中学受験して他校に行った◯◯くん」等と、まだ記憶にも残ろうが、幼稚園だけ一緒だった同級生なんて、誰が憶えているというのか。自分自身だって憶えていない。六歳がどれだけ子供で、記憶があやふやな年代なのか、誰しも想像に難くないだろう。

徒歩で通える公立小学校に通う同級生達を尻目に、私は、一時間もかけて電車通学していた。母校に入れたがったのは父らしいが、そんな馬鹿げたことに賛成した母の責任もあるだろう。
そもそも、何かというと母は「パパが〜」と逃げるが、それもおかしい。パートナーではなく、優しくしてもらっている奴隷だったのか。

転校したならともかく、私は同じ場所に住み続けていたのに、区の成人式に行ったところで、誰一人知り合いはいないのだ。だから当然、行かなかった。
私立一貫校の、いったい何が素晴らしいの?

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