りんご飴は私の愛人、地方妻。
そこらの子供や女学生と一緒にされては困る。
私こそ、りんご飴が大好きだ。
子供特有の他人の持ち物を見て、羨ましいからボクも〜と言って欲しがるだとか、
女学生特有の「写真映えする〜」「りんご飴を持っている私、かわいい〜」とりんご飴を一種のファッションとみなして欲しがるだとか、
そんな生半可な愛し方ではない。
真っ直ぐ、誠意を持って愛している。
祭りで見かけたら必ず買う。姫りんごじゃない、一番大きくて赤いやつ。
そして、誰よりもきれいに食べきる。
高校一年生の夏、私がりんご飴の屋台の前で一丸のりんご飴を食べていたとき、たちまち店に行列ができた。沢山の子供たちから羨望の眼差しを向けられ、親たちが思わず購入を許可するほど上手に食べる人はそういないはずだ。
みなさんは、
夏より冬のりんご飴の方が甘くてみずみずしくて美味しいことをご存じないでしょう?
「スーパーのりんごの方が高品質なのは当たり前、スッカスカの屋台のりんごを使うのがいいのよ」としみじみ思ったりしないでしょう??
「食べやすくカットしますか?」と訊かれたときに、意地張って断ってまで一丸で食べることもないでしょう???
私とりんご飴。
ともに過ごす時間が長いから、思い出も人一倍多い。
ここまできたら、「りんご飴の愛人なんです」ぐらい言ってもいいのではないか。
でも。
りんご飴専門店にわざわざ行ったりはしない。
抹茶やアーモンドの粉などをまぶした様々なりんご飴を試して、好きな味を探求するほどの熱意はない。
祭りの屋台くらいでしか食べない。
もしかしたら、
私にとってのりんご飴は、地方妻程度なのかもしれない。
祭りに出向いて会ったときに愛するだけで。
もっと言えば、
祭りで必ずりんご飴を大喜びで買う「童心を忘れない自分」に酔っているのかもしれない。
そう考えると、
私が馬鹿にしているりんご飴を持ってSNS映え写真を撮る女学生の方が、まだ可愛げがあってマシに思えてきた。
彼女たちには多少の承認欲求はあるが、
私ほど拗らせてはいない。
このように原稿用紙2枚半分のキモ文章をしたためて、人に読ませることもない。
あーあ。結局キモいのは私か。
これからは、かわいい女学生への劣等感と嘲る感情の両方を抱きながらりんご飴を買うのだろう。今回文章にする中で、自分の気持ちを整理してしまったばかりに。
だが、それでいい。
だって、りんご飴好きなんだもの。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?