8月から去年数ヶ月やっていた体操のオンラインレッスンを再開した。 体は常々動かさなきゃと思いつつ、優先できないでいる。 外は暑いし、夏の間は室内でできるのでありがたい。 今日のレッスンの間、何度も涙が出た。 自分の体に感謝を感じた。 私を生かしてくれている内臓、立たせてくれている骨、動かしてくれる筋肉。 呼吸をさせてくれる呼吸器、空気。 休ませてくれる自律神経。 考える脳。 全ての要素が私を生かすために頑張ってくれている。 私は勉強ができる方じゃないし、サボる人間だった
私は私を愛する為に『愛してる』という 誰かに愛して欲しくて、自分の想いとは違う言葉をいう時、 きっとしっくりこない、 自分が嘘をついているような感覚になる。 私が心から、言いたくて伝えたくて私の口から出た言葉はそのまま自分の心も震える(ジーンと来る) 私の口から出た言葉は私の耳も心も聞いている。 本当はわたしに愛を伝えたくて、私の言葉は誰かに向けて発しているのかもしれない。 だから、私は今日も『愛してる』と声に出して言ってみる。 他の国の人の感覚は分からない。 『
こんにちは! 実はおととい自宅の鍵を紛失しまして…。 自宅の駐輪場はセキュリティのためにロックがかかっていて、鍵を差し込んで開けないと開かないシステムになってます。 私はバイクなので、いちいちバイクを停めて、シートから鍵を出して開けるという一手間があるのです。 その日は仕事の合間に1時間、時間が空いたのでそそくさと買い物に出掛けて、 焦りながら自宅に戻りました。 新車がキーレスのバイクになった事にまだ慣れていなくて、 駐輪場の扉の前で毎回気がつくのです。 あ、鍵がシート
私は親に期待するという意識をした事がない…と思う。 多分この期待というのは渇望した事がないという意味合いに近い…かな? 多分それは自分が十分に与えられていたであり、 どちらかと言うと、 親の期待に応えたいという意識の方があったかと思う。 もっと愛される為に、良い子でいたい、 親の望む幸せを全うしたい…。 人は与えられないと期待し、 与えられると期待に応えたいと思う性質を持っているのかな…なんて思ったりします。 子供って純粋だから、一度言われた事が深い傷になり、それがま
本当の強さとは自分の弱さを認めること のような名言がいくつもあります。 その意味を理解する事って難しいと思ってました。 言ってる意味はわかるようなわからないような?どういう事?って。 強いか、弱いかは 正義と悪 みたいな風に思ったりしますが、そうではない。 弱さがわからなければ、強いがわからない。 弱さを知るから強くなれる。 ひとは自分が経験したり、腑に落ちなければ本当の意味がよくわからないものです。 そして、弱いが悪い、 弱い自分がダメと排除するものではなく、
『自分を信じて』 と内側から聞こえる 例えば自分以外の誰かが悩んでたり、怒ってたり、不安を感じてる時、 自分を信じて と言いたくなる それは同時に自分にも言ってあげたい言葉なんだと気がつきました。 仕事に全振りして、休みを作れない自分に言ってあげたい。 自分を信じて 大丈夫だよ と。 思えばいつだって望みを叶える時、 絶対大丈夫 と思えていた。 そういう時は特別な風が吹く。 私は信じる力が強い。 信じる力が強いんだ。 そのことをいつも忘れてしまう。 誰か
ちょっとした事があって、 きついかなって思うような事をLINEで送った。 トラブルを回避する為にここで私が言っとかないとと強い気持ちがあった。 相手からはごめん、悪かったと言われ、私は悲しくなった。 相手を私の思い通りにした気がして…、 私が相手を負かした気がして…。 私はそんな事をしたかったわけじゃ無い。 誰も不満がないように、みんなが気持ちよくいられるようにしたかっただけなのに。 心が通い合ってない『ごめん』と聞こえた。 それは私の勝手な思い込みかもしれないけど
ボーっとするとか、 いつのまにか寝ちゃったとか、 目覚ましかけないで寝れるだけ寝るとか、 最近は本当に皆無です。 とにかく時間がない。 やることを最低限済ませてねる。 何もせずにボーっとするのがもったいないというか落ち着かない…。 私はせっかち(のようです)。 たまに、自己犠牲的に感じる事もあるのだけれど、 多分、自分のためだけに生きるという事は自分にとって、『つまらない』から誰かの為に何かしたいのだと思う。 ただそれだけ。 せかせか何かやっていっぱいいっぱいになる事
私たちはいつだって選べるんだ。 誰かに対してかける言葉 自分に対しても然り。 どうせなら 相手が気分の良くなる言葉を発する方が、自分も気分が良くなるものだ。 計算高いとかじゃなくて、その方がハッピーなんだ。 相手の気分が良い事を、自分と繋がってるように感じる。 私たち自分の使う言葉を選べる。 いつだって。
綺麗に身支度することも 部屋を綺麗に整えることも 美味しいと思う食べ物を食べる事も 体が滞らないように動かしたり、温めたりする事も 外側のように見えて 全部内側で感じる事 内側から清らかに輝くために 全部自分への愛なんだ
顔は全てを表している 幸せな顔に幸せは宿る 幸せとは? 幸せとは満たされている事。 それを決めるのは自分。 そしてそれを出来るのは自分。 不安や焦り、恐れ、不快、緊張 顔に現れる そういった心を一掃できるのも自分。 まずは、何があなたを、あなたの心と顔(体) をそうさせてるか 気づく事から始めてみましょう。 体も心も【ただ在る】状態から 外側からのさまざまな影響によって、作り上げられた考え方によるもの。 その事を思い出してみよう。 本来のあなたとは、 幸せ
それは父の事です。 前にも書いた事があるのだけど、 私は幼い頃から父が嫌いだった。 憎んでいるのか、またはその理由があるのかと言ったらそれはなくて、 嫌いというのは拙い表現のひとつであり、近い言葉でいうのであれば 「関係が薄い(母と比べて)」 というのが1番近い。 父に限らず、 私は男性が苦手だった。 ある時期までは私は同性愛者であったし、 男性と心を通い合わせた事がなかった。(片思いならした事はある) どちらかといえば、異性は別の生き物であり、信じる事が出来な
誰かにひどい事を言われて傷ついた、悲しい過去の感情が記憶から引き出された時 また再びその感情を感じて、胸が痛くなる事がある その感情を捉えて手放す方法がわかっているつもりでも、 消化できない感情は何度も何度も襲ってくる事がある 例えば、俯瞰してみたり、 相手の背景を理解しようとしたり、 相手を許すと思ってみたり…。 大人ぶって、本当はとっくに許しているし、 その事は本当は大した事はないのだと、 手放そうとしても記憶にこびりついて離れてくれない。 本当に私を悲しくさせて
直球的な疑問や思い、 知りたい!言いたい!みたいな事が頭の中にポンと降ってくる。 その時に、言い方を考えたりする。 どんな風に伝えたら相手にこちらの意図が伝わるだろうか。 一生懸命、言葉を紡いでみる。 書いては消して、書いてみる。 言葉を発する前に、言葉をセットする。 そういう時一瞬。 いい人に思われたいのか、思慮深い人間だと思われたいのか、 みたいな気持ちがまたポンと降ってくる。 少しばかり、自分を否定するような、馬鹿にしたような気持ちになるんだ。 いい人に思われ
私の母は純粋な人です。 そしてそれは私にも受け継がれている。 夫にはピュア🟰馬鹿 だと言われるが、私はそれを気に入っている。 ただ、それは本当の馬鹿ではなくて、良し悪しの分別ができ、危ない事には鼻が効くというか、今まで騙されたり、おとしめられたりした事がない。 それは運の良さだと思っている。 私は小学生の頃から私立の学校に通っていた。 元々1番上の兄が通っていた学校で、小中高のエスカレーター式の学校だった。 真ん中の姉が地元の友達と離れたくなくて、近所の小学校に通ってい
昔のお仕置きって凄かったのよ。 裸(パンツ一丁)で外に放り出されたり、 昔の家って柱があったから、そこに括り付けられて、お線香の火を手の甲にジュッてされたり、お線香は祖母からやられたんだけど、今でも跡が残ってる。 どんな悪さをしてされたのかも記憶に無いし、痛かった、熱かったという記憶もない。 これは祖母が子供の頃にされていた折檻で、母もやられた事があるのだと思う。 昔でいう『お灸を据える』ってやつだと思う。 それが普通に行われていた事が怖い。 もちろん、それくらい大きな悪