母との繋がり《続》

昔のお仕置きって凄かったのよ。

裸(パンツ一丁)で外に放り出されたり、
昔の家って柱があったから、そこに括り付けられて、お線香の火を手の甲にジュッてされたり、お線香は祖母からやられたんだけど、今でも跡が残ってる。
どんな悪さをしてされたのかも記憶に無いし、痛かった、熱かったという記憶もない。
これは祖母が子供の頃にされていた折檻で、母もやられた事があるのだと思う。
昔でいう『お灸を据える』ってやつだと思う。

それが普通に行われていた事が怖い。
もちろん、それくらい大きな悪さをしたからそうなったのだと思う。
子供を虐待する事を楽しんでいた訳ではない。苦しみながらも、その方法しかないと思ったのだろう。

私はそうやって、我慢するという事をせず、自分の思いつくままやっては怒られ、折檻されるという事をしていた。

そのうちに〇〇しなさいと言われる事も日常の事で、耳に入るけど、
やりたい事やできる事はやる、やりたくない事はやらないという風になってきた。

ただの口癖レベルの早くしなさい、〇〇しなさい。
支度しなさい、早くご飯食べなさい、勉強しなさい、宿題しなさい、早く寝なさい…。

言われなくてもやるものはやるし、やらないのはやらない。
ってある時期からは染み付いてきていました。

また、甘える事も同時に覚えて、身の回りの事は全て母がやってくれました。
あれどこ?って言えば出てきたし、やってって言えばやってくれる。
許容される範囲の事は自分でやらずともやってもらえたのです。

だから

私にとってはどっちでもよかったんです。

母の思いとしては、自分で何でもそつなくできるように、困らないように、人に迷惑かけないように、〇〇しなさい、あれはダメ、これはダメって口癖のように言い続けてきたと思うのですが、あんまり意味は無かった。言っても聞かないものは聞かないし、ダメって言ってもやりたいと思ったら勝手にやるって事がわかったのでしょうね。



トラウマの話になりますが、その〇〇しなさい、あれはダメこれはダメっていうのも、ある人にとってはトラウマになります。
自分を抑圧して、我慢させるって事をしたり、
嫌われないように自分に嘘をつくという事をするからです。
私も全くそれがないかと言われたらそうでもなくて、私なりに我慢したり、傷ついたりはしていたのだけど、適度にガス抜き出来ていたという事。

だけど、今思うにやっぱり無意識に〇〇しなさい、〇〇はダメって言ってしまう事は子供にとっては呪いかも。
〇〇しなければダメな自分という自己否定に繋がる事になるかもしれない。

そして、これは母のカルマでもある。
多分私と同じように〇〇しなさいと言われて育ってきたのは否めないだろうし、
私の母とは、とっても我慢する人なのだ。

もちろんこれは私から見た母のほんの一面でしかない。
母は物凄く世話焼きで、家庭的な女性。
我が強い部分を一部の人にしか見せない。多くの場合、人の気持ちを優先させて、自分を抑えてしまう所がある。
常識人として振る舞う一方で、自分を抑えて、弱い仮面を被る。
だから、我が強い人にとっては弱い人間に見える為、踏み越えて無礼な事をされる。
その人に自分の常識を無意識に当てはめ、また本心を抑えてやりたくない事を我慢してやる、相手の言いなりになり、自分を弱くする。
その歪みが出来る為、自分の不快な現実が起こる。
そして、我慢した後爆発する。

母は愚痴が多く、過去の無礼や悲しかった事をいつまでも嘆く人だった。
私が思うに、それはそういう考え方や本心とズレている事をする限り循環する。
悲しい事を思い出しては、自分の事に気づく事ではなく、その対象への恨みつらみにフォーカスしてそれを手放そうとしないからだ。

それはほんの一面の母で、強い母も私は知っているし、本当に我慢出来ない事は、結局の所我慢してないし、愚痴(本心)を話す事によってガス抜きはできているのだと思う。
愚痴が良い事か悪い事かは置いておいて、それが必要だったし、
その事により、私自身も母の本心と行動がずれていた事を知れる事になった。

私はある時期からは、母のその弱さや何でもやってあげたいという部分を利用するようになった。
やってあげたい、やってあげるのが当たり前というのが、
私に伝染して、
可能な事であれば甘えて、やってもらうのが当たり前となった。
悪い言い方をすると「召使い」のように思ってた。
これも母が受けた無礼の一つなんだと思う。

可能な限り母を利用し、上手くいかなかったら全部母のせいだと責めた。
本当は自分の力で学校へ行けるのに、駅や学校まで車で送らせた。
遅刻したら母のせい!って脅した。

体操着や必要なものを用意してくれてるのが当たり前で、用意されてなかった時は、責めた。
忘れ物したら母のせい!

うまくいかない事は全部全部
「ママのせいだからね!!」
と責め立てた。

母のせいではない事を知っているのに、
「母のせい」にする事で逃げてただけなんだけど、
そう口に出すことで良く分からないフラストレーションを晴らしていたのだ。

これは、〇〇しなさいの呪いの結果でもあり、母が自分の本心を抑えて弱い自分になっていた事で発生した現象なんだと思う。

そして、前にも書いたのだけど、
人のせいにすると
本当に自分が弱くなる。

これは本来の自分が弱くなるって事。

何が自分を喜ばせるか、何に自分が安心するか幸せにするかっていうのが分からなくなって、
自分軸がなくなり、
人の目を気にして、世の中の評価が基準になり、不安や焦り、恐怖が強くなる。
他人軸で生きているから、自分に足りないものばかりに目がいき、幸せを感じ辛くなる。
めーっちゃ悪循環😭

私が幼い頃から母と意識が繋がっていて、
受け継がれたカルマとなっていた事に気づいた。
強い繋がりがあるからこそ、負のエネルギーが反応し、反発し現象化してきた事。

これを書きながらもまだ、未消化でモヤモヤする最中だけど、
私はこれを手放していく。

私が思うに、私はまだ母と臍の緒が繋がってるのではないかと思う。

私は母離れができず、ある一面では物凄く稚拙で弱くて、感情が揺れやすく、涙脆い。
そうなると、うまく言葉が出てこなくなり、全てを引っ込めてうやむやにしてしまう。
別にそれを否定する訳ではなくて、
その先を一歩踏み越えたい。

なかなかできなかった自分の弱い部分を見守り成長させたいのだ。

それは自分に〇〇しなさい、〇〇してはダメという方法ではなく、

自分には出来る!と強く自分を信じて。

自分の足で立つ。

自分の軸で生きるという事。


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