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担任していた子供たちが卒業した

**最後の学級通信 **

ついに本当の本当に最終号です。中高の多感な時期にこの場所で出会えたことに、本当に感謝しています。

突然ですが、何シーズンか前の連続ドラマに「先に生まれただけの僕」というドラマがありました。嵐の櫻井さんが主演をされていたドラマでしたね。ご覧になった方、いらっしゃいますか?実はこのドラマの「タイトル」こそが、私をハッとさせるものだったのです。

私自身、教員になってまだ数年しかたっていません。自分の中で「教える」ということに、どこかまだしっくりとこないまま、初めて担任を持たせていただきました。そこで感じたことこそが、みなさんよりも数年だけ「先」に「生」まれただけ=先生という存在としての私です。

みなさんにとって、教員とはどんな存在でしたか?教え導き、引っ張る存在?口うるさく説教する存在…?笑

私自身は、少しだけ先に生まれただけのみなさんと根本的に平等な人間として、経験したこと、考えたことを共有することで、それを知恵として自分なりに解釈してもらい、みんなの行動に変えてもらい、共に気づき合い、対話していくための存在でありたかったのです。それは、聖なる存在、みなさんよりも高いところにいる存在としてではない存在なのです。

今、三年間を振り返ってやっと気づくことができました。とてもシンプルなことですが、これこそが、今の私の教員としての自分軸であり、信念です。みんなに出会えて磨くことができたものです。本当にありがとう。

こういうわけですので、この最終号も、私が経験し、一番知っていてほしいなあと思うことを共有します。それぞれが置かれた立場に置き換えて消化してみてほしいです。

インサイドアウトという発想

 人は自分の見たいように世界を見ているという事を大前提にしている発想です。人の言動を見て「正しい」「間違っている」と批判したくなる時がありますが、実は相手のほうが総合的に正しい可能性もあります。どれだけ「自分は客観的だ」と考えている人も、過去の経験や学んだ知識という自分のフィルターを通して、その事象を見ているのです。

このような前提をもとに、自分の内面(インサイド)の考え方や物の見方、人格や動機に問題がないかと考え、律することを「インサイド・アウト」と言います。

 何か問題にぶち当たったり、他者との関係で悩んだ時、この発想を原則の一つにすると何が起こるでしょうか?それは、必ず何か事に変化が起こるということです。もう少し具体的に言うと、「変えられるものだけ」に集中して力を注ぐことができるようになるということです。

 多くの場合、自分をモヤモヤさせている「相手」や「出来事」が変わらないだろうか(アウトサイドイン)と悩むものですが、結局それは変えられないものに対してぐるぐると想いを巡らせているに過ぎず、精神的に参ってしまうだけです。ここで、視点を変え、「自分をどう変えるか」を考えることではじめて解決の糸口が見出せ、はじめて「行動」に変えることができるのです。結果、それは古い自分を変化させ、成長にも繋がるよ、という話なのです。

実はこの発想、みなさんが学校で培ってきたものだと思っています。それは…

与えられるよりも与える方が幸いである」

この言葉です。向こうから与えられる(変わってくれる)のを待つよりも、自分が与える(変わる)方があなたにとって良いのです、と私は解釈しています。

もし皆さんがこの学校をでて色々な困難にぶつかった時、この発想と、この言葉をお守りにどうぞ乗り越えていってください。

〜後半へ続く〜

#卒業式 #担任 #ラストメッセージ #インサイドアウト

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