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腫瘍が見つかって人工関節になった話





こんにちは(^_^)


初note㊗️長い文章を書くのはとても久しぶり



ようやく飲み込めてきた自分の体(左足)のことについて、書いて発信してみることにした。


転んで骨折したらただの外傷骨折ではなくて、なんと腫瘍が原因の病的骨折だった。
現在私の左膝には人工関節が入っていて、杖歩行で様々な生活制限がある。



一生この足と生きていかなきゃなので、ずっと落ち込んでてもあれかと思ったのと、つらい経験を書き出すことでちょっとすっきりするかなという自己満です。あとこんな病気もありますという紹介。

読みやすい文の構成や行間だとかいまいちよくわからず、とにかくつらつら書くので読みにくいです😼
 



いくつかに分けて更新していくつもりなので、時間がある時などに読んでもらえると嬉しいです(^_^)





今年の8月半ば、彼氏と長野旅行に行った時。
2泊3日予定で、2泊目の夜だった。これからお風呂入って、出たら星見れるかな〜楽しみだね〜って話してた。曇りだったけど


大浴場に露天風呂が付いている宿泊施設で、
外の露天風呂から中の大浴場へ戻ろうとした時、通路がヌメヌメで滑って結構派手に転んだ。

普通ならすんごい大きいアザできたわ、、レベルだったと思うけど、もう転んだ瞬間に違うのがわかった。まず痛みが酷くて立ち上がれない、一発で骨までいったな〜ってわかるくらいの激痛、それと何より見た目が大変化してて、もう膝上からボコボコっと変形してた。


とにかく助けてもらわなきゃと思い、屋外の露天風呂には私一人だったから、手すりつたって這って歩くように大浴場内に入った。激痛で地面に足つけなかった。
扉開けたら手前の洗い場に運良く人がいて、すみません助けてくださいって言った。声絞り出すってあんな感じなのかな

女の人すぐ来て椅子にゆっくり座らせてくれた。それから奥にいた年配の方や、脱衣所にいた3,4人の方も来てくれた。連携プレーで、水持ってきてくれたり、浴衣羽織らせてくれたり、痛さで過呼吸ぎみの私を落ち着かせて何があったか聞いてくれたりした。彼と一緒に来た事を伝えると、男湯に呼びかけて向こうとも連絡を取ってくれたりも。



全く身動き取れないのと、もう見るからに変形してボコボコに腫れた足を見て、15分くらい経った時に誰かが救急車呼んでくれたらしい。

女湯内に救急隊や付き添いの彼が入るから、その場の女性達とりあえず浴衣に着替えて、ずっと励まし慰めてくれた。助けてくれた人達の顔ずっと覚えてるなあ。みんな本当に優しくてあたたかかった。

彼氏に伝える時、旅行の最中にこんな、、終わった、、っていう思いと申し訳なさと悔しさやらで泣きそうだった。




救急隊きて、ストレッチャーに上げる時、今年で22歳なのにあまりにも痛くて泣き叫んで痛いやめて痛いって散々言ってた。もうここの情景思い出すだけで鳥肌が立つ。
救急隊員のおっちゃんが、「痛いけどな、ごめん我慢してくれ。ここに乗らなきゃ何も出来んのよな」って言ってて、いやもう、わかってるわかってるけど痛いよーー助けてーーって涙流してずっと思ってた。

痛み耐性強い方だったし、歯食いしばって耐えてやると思ってたけど、我慢できなかった。

やっとのことでストレッチャー乗って救急車の中に運び込まれたけど、ストレッチャーに乗った私を見る顔が、彼氏も女の人達も外に居た他の人たちもみんな強ばってて、あ〜みっともないところを見せてしまった恥ずかし~と後になって後悔。けどしょうがないよね〜ってことにしたい

あまりにも余裕が無さすぎて、その場にいた人たちに何もお礼言えなかった。もう伝える手段ないけど、本当にありがとうございました。恩人すぎる〜。


救急車に乗ってからはバイタルとってどんな転び方したかとか話した。
付き添いで彼氏が同乗して、車で30.40分くらいの病院に向かった。
救急車は確かすごい小さい頃と小学6年生の時に乗ったことがあったけど、あ〜自分只事じゃないんだっていうのをまざまざと感じさせられるようでとても苦手で嫌だった。死にかけの顔で彼氏に謝ったらいいよ大丈夫って手握って安心させてくれた、助かった。


無事病院到着。0時前だったと思う。ストレッチャーの揺れや、スライディングボードでベッドに移る時、もう全部全部痛くてぎゃあぎゃあ言ってた。
すぐ痛み止め打ってくれたけど、1ミリも効かなかった。



トイレでの排泄ができないからバルーン入れた。恥ずかしかったしこれもまた痛かった。



もう何回も痛い痛い叫んで疲れ果てた頃に、色々書き物があって付き添いの彼氏に処置室まで来てもらって代理で書いてもらった。彼氏っていっても友人枠で他人になるから病状説明とかなんもされなくてなんか無性に悲しくなった(笑)



レントゲン撮るから移動します、お連れ様はここで〜ってなって途中で別れた。
なんとなくそこで、これから2.3週間くらい入院するのかなしばらく会えないかな〜っていう気がした。


レントゲンはもう痛くて痛くて、あまりにも私が痛がるもんだから向きとかかなり妥協して撮っていた。途中レントゲンの技師が整形外科の先生に電話して、「これ無理ですね~、かなり痛がっちゃってます。○○は撮れなさそう。」って言ってた。早く終わりにしてってずっと思ってた。

レントゲン終わって、やっと病棟に入れた。けどまたここでベッドへスライディングボードでの移動。これ検査台に乗る時とか入院中何度もやったけど、左足一ミリ動かすだけでも絶叫するほどの痛みだったから、移動なんてほんの2秒で終わるのに本当に本当に耐えられなかった。


病室に入って一人になったのが確か3時頃とか。痛いだろうけど、朝整形の先生が来るまでは何もできないんだ、頑張ろうって看護師さん。痛くて寝られず痛み止めも効かずだったけど、疲労で明け方くらいには寝つけた。

転んだ23時ごろから病棟に入った3時ごろまでの4時間、4か月たっても一つも忘れずに思い出せるし、一生忘れられないと思う。濃すぎる初日




本当は全部一つにまとめて書く予定だったけど、この調子だと3万字くらいいきそうなので何個かに区切ることにする。

次回更新時もよかったら読んでみてください(^_^)

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