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ハロウ、真夜中インターズ(読書感想文)

noteでよく見知った方達が集まって同人誌を出していた。よく見知ったと言っても、時勢もあって誰も直接会って話したことはないんだけど、それでも大半の方とはそれなりに仲良くさせていただいていると思っている。僕がもう少し図々しかったらお友達と言い切ってしまっていたと思う。

note仲間の同人誌といえば、僕も2年前に今はライターを始め様々な分野でブァリバリ活躍している太田冴さんに誘われて参加したことがあった。出るまでは完全にさえさんにおんぶにだっこではあったものの、寄稿という立場でさえ誘ってもらえたこと自体がとても嬉しかったし、貴重な体験だった。自分の文章が活字になるあの高揚感と怖さは、機会があったらなるべく多くの人が経験すべきだと思う。あの本がまだ売っていたらぜひ10冊くらい買ってほしい。

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僕は毎晩11時に寝て翌朝6時に起きる生活を送っているので、真夜中というのは最近馴染み薄い時間帯だ。夜遅くまで起きて何かをしたり、物思いに耽るということがない。それでも、あの時間帯の静けさとある種の熱狂や謎の優越感が混じり合った非日常の感触は、うっすらとした懐かしさと共に今でも肌に残っている。

本はオフィスを宛先にして送ってもらった。せっかくサラさんに手早く送ってもらったのに、例の感染がまた爆発したおかげで取りに行けたのは着いてから1週間後だったのだけど。昼間の真っ白で明るいオフィスの昼休みに一読、翌日の夜の寝しなに一読。2回読んでもじんわり沁みるコンテンツだった。もちろん、より深く抉ってきたのは夜だった。

23時台、真夜中とはいえない時間帯であってもコンテンツに深みをもたらす夜という時間の効能。夜はきっと、疲れとか心身のままならなさを一人で正面から受け入れても許される時間なのだ。弱さを能動的に受け入れたタイミングで、そこにスッと差し込まれる何かがあればそりゃ抉られるだろう。それともしかしたら、あとは寝るだけという即物的な開放感もあるのかもしれないけれど。

そんな夜に集まった仲間とは、ともすれば傷の舐め合いに終始する場合も多いのかもしれない。僕が青春時代を過ごしたPC-9800のディスプレイの中には、僕を含めてそういう子供や大人がたくさんいた。でも、数は少ないものの、その弱さをテコにして素晴らしい何かを作り出している人もいた。それも夜という時間の副産物だったのだろう。

ハロウ、真夜中インターズ各位。そんなわけで、それなりに歳を重ねた大人が夜をテーマに集まって何かを作り出す行為そのものに、ある種の尊さと羨ましさと妬ましさを感じます。たぶん、疲れとかままならなさといった弱さを受け入れた先でじゃあ何ができるのか、それを探す強さと、しっかり形にできる実行力が眩しいのでしょう。

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ここからはお手紙です。ヤギや食いしん坊もいるので、読まずに食べられちゃうかもしれませんが。

野やぎさん

野やぎさんのお名前を初めてお目にかかったのは大多数の人と同じくコロッケだった気もしますが、その前に当時同僚だった水野さんと何かやりとりをしているのを見かけた気もするので定かではないのが正直なところです。

この人はやべえなと思ったのははっきり覚えていて、それは「冒頭3行選手権」の時です。これはほんとすごい企画でした。

乾坤一擲を募集する企画は数あれど、一見誰もができそうだけど実は奥がとても深い、みたいな企画はなかなかね。おおぅと思って、小説が書けない僕も思わず書きました。これからもぜひ、noteヤギ界の重鎮の一人として縦横無尽に遊び倒していただけますと幸いです。

ところで、僕は野やぎさんと育児に対するスタンスが結構似てるのではと思っています。我が子を導くことって原理的に不可能で、親は後ろをついていくしかないって。以前こんな文章を書いたんですが、おそらく大意は今回のエッセイと同じなんじゃないかなと勝手に推察しています。

山羊的木村哲也さん

内容の前にちょっと問いただしたいのは、山羊さんは結局山羊ではなかったんですかね?ということです。山羊課長(たぶん山羊の課長だから山羊)→山羊メイル(山羊Mail、つまりは(多分)山羊通信ということで差出人が山羊だから山羊)ときて、いつのまにか山羊的木村哲也となっていて。「猟奇的な彼女」の「猟奇的」が「彼女」を修飾しているように、山羊が木村哲也を修飾しているように見え、とうとう山羊ではなくなったことにちょっとした衝撃を受けました。予てから山羊マニアを公言しているためか、山羊であり続けてほしい願望みたいなものがあったのかもしれません。そこで一つ提案なのですが、山羊に無理なく回帰するためにペンネームを木村哲也的山羊とするのはいかがでしょうか。無論、熟慮の上での結論ではあったと思いますが、こちらもぜひご検討ください。ただ、今ふと思ったんですが、もしかしてこの「的」は中国語の「的」だったりするんでしょうか?それだと「ぞうのババール」と同じ感じになりそうなのでここまで書いたことは安心して撤回します。

…たぶん個人的な立場の特殊性ゆえか、だれそれの文章が好き、ってなんか最近言いづらくなりましたね。前はもっとイノセントな気持ちでサトウカエデさんが好き、みたいに表明できてたんですが。誰かに面と向かって指摘されたわけではないんですが、とにかく前よりは言いづらくなってます。

そういうのもあってかな、活字として顕れた山羊さんの文章はそれだけでなんかちょっとグッと来るものがありました。ハイライトや28歳なんてもう何回も読んでるのに、今回もああいいなと思いましたしね。新宿の雪や茜色、波寄せる場所も好きなんですが、この本にはこの2つが断然マッチしてると思います。あと今回の新作もそうですが、どちらかと言えば男しか出てこない話がより好みです。僕が男子校に通っていたせいかもしれません。

小野ぽのこさん

おそらく小野さんではなく、ぽのこさんと呼ぶのが状況的に正しい気がするので、ぽのこさんと呼ばせていただきます。お名前を初めてお見かけしたのは感情解像度のときでした。たまたま一緒に応募した同僚と、あの文章はすごかったねえと感想を言い合ったりしてました。今読み返しても、描写がやっぱり美味しそう。

失礼ながら、今回の転載された方の小説は未読でした。未読だったんですが、これを初めて読んだのが紙でよかったなと、その偶然に感謝しています。なかなか重たい話だと思うんですが、いいなあと思って何回も読んでしまいました。

すいません、既にすごい偉そうな感じになってるんですが、偉そうついでに特にすごいなと思ったところを書いちゃいますね。僕も食いしん坊なのでぽのこさんのお話は色々な食べ物が出てくるのが楽しいのですが、食べ物を描くことで、その食べ物の持つ色彩が物語に展開されていくのがすごいなあと思っています。もちろん、トマト出しときゃ赤くなんだろという話ではなくて、そんな赤だったり卵の黄色がしっかりインパクトを与える場面で出てきて強く印象付けていく、みたいな。3回くらい読んだあたりですげーっ!と思いました。(1回目は佳世ちゃんでそれどころではなくて)

遅ればせながら、noteに既に上がっているものも読ませていただきますね。なるべくスキを連打しないように配慮します。。

猫野サラさん

サラさんは顔馴染み感かなり強いと勝手に思ってるんですが、そういえば口頭でお話ししたことないですね。やっぱり主に生息する時間帯が違うのかな?今回配送いただいた送り状の字がいつも漫画の中で目にするサラさんの字で、おおおと思いました。

また、これは芸が細かいなあと思いました。

突如現れる真夜中インターちゃん

こういうギミックも入れた上で、企画の立ち上がりからデリバリーまで手早すぎませんか?2ヶ月くらい?これを!?マジか…。普段いろいろ楽しそうな割に仕事はきっちりしっかりこなすのってたぶん一番かっこいい部類の大人だと思います。僕も早くそれになりたい。

上にも書いた通り、僕は朝の住人なので最近縁遠いのですが、ほんとうの夜って確かにありますよね。この世で起きているのが自分しかいないと錯覚するような深い深い夜。朝は朝の良さがあるので現状特に不満はないのですが、今回の作品を読んで、そんな夜を嗜むのも悪くないかもと思いました。

あと、ヒトヤスの新作待ってます!

より長く走るための原資か、娘のおやつ代として使わせていただきます。