超スーパーウルトラサンダースパイラルスペーストルネードスペシャル&スペシャルなスクワッドへ

久しぶり。この企画はなんか書かなきゃいけない気分になるよね。書くっていっちゃったのは自分なんだけど。

この文章はまあ、あれだ、アンサーソングというやつだ。前提を知っている人はそれを踏まえて読めるかもしれないし、知らない人は単にこのデトロイトスタイルで繰り広げられるおまじないのリズムに身を委ねればいい感じに酔いが回るかもしれない。どうなるかわかんねえけど、一晩は読めるだろ。

どこから話そうかね。

まずさ、この文章を謝罪文にするつもりはなくて、俺が今こんなことを思ってる的な話をガーっとするつもりでいるんだよね。だからといってみんな頑張ってんねん堪忍してつかあさいというつもりも全くなくて、ほんとに俺が思うことだけをただただひたすら書いていくからね。運営や開発に直接関わってねえ俺にもわかんねえこといっぱいあるからさ、わかんねえことに中途半端に言及して適当に謝るのが一番やばいというか誠実じゃないと思うんだよね。みんなもそんな話聞きたくないでしょ。もっかい言うけど俺は俺の話だけをするよ。

いきなりすんげースケール小さくなるんだけど、はいはい、わーったわーったごめんねごめんねーって感じで謝って奥さんによく怒られてたんだよね。一刻も早くこの状況から脱したいっていう気持ちはわかるんだけど、お前がしたいのは謝罪じゃなくて謝絶じゃね?的なね。だから最近は自分が悪いとおもってないことは軽率に謝らないようにした。逆にガチガチに論理武装しそうになって匙加減まじむじーって思ったりもするけど、それでもガチなコミュニケーションってのはそういうまじむじーもんなんだろ。その存在が分かっただけでも結婚して良かったとは思うよね。結婚したからって得られるとは限らないのかもしれないけどさ。

でね、俺はさ第二波についてはこれはほんと知らなかったなと思ったの。俺も娘がいるから第一波はありゃりゃと思ったんだけど、第二波は燃え上がる炎を見ても正直ピンと来ていない部分があったわけ。でも、社内の文化人類学とかフィールドワークに詳しい人がそれがいかにまずいことかを訥々と解説してくれてうわそれやべえじゃんって初めて分かったんだよね。まあそれはあくまでも俺自身の話ではあるんだけどさ、無知を知ることはほんと大事だなと思ったよね。

ただね、第三波についてはみんながブチ切れまくってるのが反射的にもうほんとによくわかってしまったんだよな。「書く人」が一様に怒ったり静かに絶望したりするのをみてもあああ、これはなああああと思ったわけ。

何回か書いてるけど、俺は学生時代ライターみたいなことをやっててさ、原稿をつくるということがどういうことなのかは肌感覚で理解できているつもりなのよ。あれ文章が書けりゃあいいというわけじゃなくて、ちゃんとパッケージとして納品するレベルまで書ききる覚悟がないと作れないものだって。書く行為そのものの孤独さもそうだけど、脱稿する瞬間の怖さとか、チェックに回している間の不安とかさ、楽しいだけじゃ作れねえんだよな。あとは校正で信じられないような誤字がボコボコ見つかった時の恥ずかしさとかな、もちろんハマった表現が降りてきたときの喜びとか、いろんな感情とか思惑がペライチの原稿だとしても詰まってるもんなんだよな。

そんななのにさ、チェックに回したはずの原稿が何週間もクリアファイルに入ったままで机の上に放置されてたりさ、てっきり校正にまわっていると思っていた原稿がまっさらなままゴミ箱フォルダに入ってるのを見ちゃったり。でも立場よええからそれもなかったことにして元気に挨拶したりしてさ。あのモヤモヤをゴクっと飲み込んで俺は今も社会で働いているところはあるよね。

もちろんその分の金はもらったよ。時給換算するとまじ悲しくなるくらいだけどな。でもね、金だけじゃねえんだよな。俺のレベルが中途半端だったからかもなんだけどさ、金だけで原稿はかけなかったんだよ。そんなだから人の原稿でもほんの少しでも雑に扱われてるかも?ってのを見ると瞬時にフィードバックするものがあるわな。

俺さ、今年、さえさんという人に誘われて同人誌にエッセイを寄稿したのね。知ってる?しらない?知らないならラッキーだな!いますぐ買える!な!10冊。なあに、遠慮は要らねえよ。一回では買えないから5冊ずつ2回買おうね(はぁと)

夏に誘われて、締め切りに間に合うように書いて出したんだけど。まあプロでもなんでもない素人が書いた文章をだよ、さえさんはもうほんとに丁寧に丁寧に取り扱ってくれたわけ。送ったら即座に受け取りましたー!って連絡くれるしさ、デザインもこれでいい?これでいい?ほんとにこれでいい?これが最後だけどほんとにほんとにこれでいい?って何回も確認してくれたりさ。そんなレイアウトなんて俺みたいな素人からしたらさえさんプロのライターだしそちらで勝手にやってもらっても全然いいわけじゃん。でもなんだろうね、文字や情報の羅列以上のものを確実に汲んでくれててさ。いい人に誘われたなって思ったよね。ゲラチェックの締め切り一回すっ飛ばして本当に申し訳なかった。その節はご迷惑をおかけしました。

たださあ、たとえ同僚がどんなにひどい粗相をしてたとしても、それを後ろから撃つ気には全くなれねえんだよな。そもそも組織がどうあっても寄り添うのも俺の仕事ってこともあるけど。こんなこと言うと自浄作用が働かない組織、って言われちゃうかもしれないけどさ、どうしても撃つ気になれねえんだよ。俺がトリガーを引くのがしっくりこねえんだよな。理屈じゃねえ違和感があんだよ。

俺としてはそんなに雰囲気が変わってる実感なかったんだけど、よく見たらいろいろ変わったところはあるかなと思うようになった。まあ、俺自身もみんなから見えない何かをいろいろいじって変えてきた一人ではあるからさ、変化に対する感受性というのは落ちてるかもしれないね。だって良かれと思って苦労して変えてるんだから、どうしてもポジティブなところだけみたいじゃない。もちろんそれだけじゃ仕事になんねえけどさ。

でもね、夏からこれだけいろいろ続いて、みんな真顔で何かを話すことが増えた気がするよね。真顔ってユーモアがなくなったとか、そういう感じではなくて、もっとこう、なんか、本質的な議論を渇望してる、みたいな感じ。プロダクトは急にガーンと大きくなったけど、組織がそれに全然追いついてない感じで、なんかいろいろやべえじゃんみたいなところも毎日ポコポコポコポコ出ては潰して出ては潰して、ポテンヒットが勢いよく燃え上がっては対応して、いやいや結局対症療法じゃんやべえじゃん基礎構造から変えねえとダメじゃんみたいなことをやってんのよ。プロダクトとは全然関係ないとこでもね。みんなでなぜか立ちっぱで紙コップを握り締めてお通夜かってテンションでポツポツと話し合った日もあったな。

俺もね。長年バックオフィスの仕事してると見たくもないもの本当にいろいろ見ちゃうのよ。なんであの人がそんなことみたいなさ。その後始末もいろいろやらされたりするわけ。それが仕事だからな。なんかこいつ危ねえなと嗅ぎ分けるのも込みでな。

でも今の会社の人たちからはそういうevilなものってあんまり感じないんだよな。みんな少なくとも善き存在でありたいと思ってると思う。いやだからこそやべえんじゃねえのってのはわかるよ。でもそんな基本的には善良な人たちが、スタートアップの猛スピードで前だけ見ていろいろやってきた末に現状と理想のギャップに気づいてまじやばいじゃんっていろいろ悩んでるのが今だって思ってる。これはたぶん、そんなに間違ってないと思ってる。むしろそうでなかったら結構やばい。

あ?酔ってる?酔ってるに決まってんだろお前呑み書きだぞ。素面でこんな言葉を放り投げられるかよ。やっぱこれそのうち下書きに戻すかもな。あとから素面で読んで耐えられる気がしねえ。

言っとくか。俺がこの会社の最終面接でうちの社長から聞いた話と、みんなが目にしてるうちの社長の話って大枠はほとんど一緒だからな。最終面接って、俺んときは1時間中45分間社長のターンでさ。ぶわーっって喋り倒されて。あの人たぶん誰に対してもおんなじことしか言ってないの。5年前のインタビューでも全く同じこと言ってたのを見た時は笑ったな。でな、俺は本当にそんなことできたらマジ最高じゃんって素直に思ったんだよな。

どんどん気持ち悪くなる気がしてならねえから、このへんで終わりにすっか。俺はみんなが嫌になってどっか行っちゃうのを止めることはできねえ。悲しいけどな。でも「みんな」が大好きだぜ。おやすみ。

より長く走るための原資か、娘のおやつ代として使わせていただきます。