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娘を連れて実家に泊まった

娘と二人で実家に泊まりに行った。夕飯を集合地点で食べた後、クルマで実家に着く頃には娘は夢の国へと旅立っていた。風呂に入った後、ほどなくして僕も寝た。両親はなんだかものすごくくだらないドラマ的なものを夢中になって見ていたので、特に親子の会話はなかった。

実家に泊まった翌朝は、周囲を散歩するのがなんとなくの習慣になっている。両親が住む実家のあるこの町は、僕が物心ついてから大学を卒業して就職したのちに家を出るまでの20年弱住んだ町だ。ただし僕は地元の中学には通わなかったので、心理的な地元感はその地域の同年代と比較してだいぶ薄い。消息をつかみ合っている同年代の知り合いは一人もいない。それでも、子供の頃に全力で遊んだ風景がオーバーラップするくらいには手の入り方がのろい田舎なので、身体的にはやはりここが地元なんだと思わざるを得ない。

そんな身体的な地元を朝もはよから歩いていてまず気付くのは、誰も外に出て歩いていないことだった。朝もはよと言っても、7時半だ。なんかの工事のにいちゃん連中が仕事前にたむろって談笑してるのはたまに見かけたが、第一村人的な生活者が歩いているのは30分歩き回ってもついぞ見かけなかった。ついでにクルマもそんなに走ってねえ。

それでも、子供の頃に買い物に行った駄菓子屋だとか豆腐屋は綺麗に建物ごとなくなっていて、その土地は宅地造成されてたりするものだから謎が深まる。人が歩いていないような田舎でも、家を建てて売れば人は入るらしい。かつて畑が広がっていたはずのところに戸建てがポコポコと建ち、そのそれぞれの駐車スペースに黒や白のアルファードだかエルグランドだかが止まっているのを見ると妙な感慨が湧いてくる。

毎回30分程度歩きながら思うのは、小さい町だな、ということ。かつて長くて急だなと思っていた坂は本当にちょっとした坂だし、遠いと思っていた町外れの友達の家は、実は500mくらいしか離れていないところにあった。夕方のチャイムが鳴るまで遊んだ公園は、すごく遠いように思えたが、子供の足でも走って2分で着く距離にあった。

自転車で10分も走れば、町の隅から隅まで行けてしまう。それが僕の子供時代に住んでいた町で、僕の両親が30年以上住んでいる町だ。僕同様、弟と妹も地元の中学には通わなかった。何も言わないけれど、その物理的な狭さに精神的な狭さまで勝手に思い至ってしまい、僕の両親はその子供たちをさっさと地域レスな文化圏に放り込んだのかもしれない。おかげで根なし草にはなったものの、僕は今現在十分に幸せなので特に問題はない。

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朝ごはんを食べ終えた娘を、走って2分の公園に連れていく。僕が無数に走った、公園に向かう道を駆けていく娘を見ると、やはり思うのは僕の両親のことだった。彼らが何回も見たであろう光景を、僕も同じように見ている。彼らがもう二度と見ることはない光景を、僕が見ている。これを見てしまうと、育児の終わりっていうのは確実にあるんだなと思う。

実家は千葉で、電車で一時間半ほどの場所にある。別に大して遠くもないけれど、そのくらいの距離が案外簡単には帰れない距離だという歌を、かつて千葉県佐倉市出身のBUMP OF CHICKENが歌っていた。異性愛者が結婚すると、大抵女性側の実家との接点が圧倒的に多くなる。子供が産まれると接点はさらに多くなる。意識して帰ろうって思わないと、僕は実家との距離がどんどん遠くなる。

そうやって意識して実家に帰るたび、僕は僕がどんどん両親にやさしくなっているのに気付く。なぜあの時、ああいう物言いをしたのか、当時はいちいち瞬発的に反感を持っていたことに隠された理由が、今なら手に取るようにわかる。それは娘と日々ぶつかったり悩みながら関係を築いてきたからかもしれないし、僕が以前よりも社会とか人間を知れてきたからかもしれない。


より長く走るための原資か、娘のおやつ代として使わせていただきます。