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noteに入社して、2年が経ちました

この6月1日で、noteに入社して2年が経ちました。入社した頃とは社内の状況はおろか社名まで変わり、ほとんどの社員の社歴が僕より浅くなっています。今まで働いてきた中で相対的にでも古参となるのはこれが初めてです。

その変化のスピードに改めて驚くとともに、その拡大に向けた新陳代謝に少しでも関われたなら僕がいた2年間の意味はゼロでもないのかもなと「いまであれば思えます」。

先に断っておくとこの記事は、どんな仕事をどんな風にしたというレシピ的なものではない、極めて個人的なメンタルに関する話です。

シモンズがどこかに行った

2年前に株式会社ピースオブケイクにジョインした時点では、コーポレートITはおろか社内制度のほとんどが未整備でした。刻々と大きく変化する状況の中で落ちているボールを拾い飛んでくるボールを捌き(捌いたボールはCTOやCFOに投げつけていた)、その様はまるでアンドレルトン・シモンズが大活躍する内野のようだ、みたいな話を入社当初に書きました。

ここでしていたのは状況に対する反射に近い、行動経済学でいうと「system1」的な仕事のやり方でした。しかしそこにはいくばくかの自分らしさ、大袈裟に表現するとクリエイティビティを発揮できている実感がありました。なにしろ僕がやる仕事を会社の誰もやったことがなかったので、全ての行動に僕のシグネチャーが必然的に付く状況だったからです。プレッシャーを含めた負荷は高かったものの、毎日すごく楽しかったのを今でも覚えています。

そんな仕事の様を、クリエイティビティ溢れるアジリティを発揮するシモンズに例えたのは我ながら言い得て妙だったと思います。(一応補足しますが「俺の仕事はメジャー級だ」と言いたかったわけではない...)

しかしその日々は知らぬ間に終わっていました。

2019年以上にいろいろあった2020年、刻々と変わる状況に対応するために、社内にもドラスティックな変化が起こっており、コーポレートITとしてもそれに追随して仕事をしていました。そこに飛んでくるボールの量自体は前年よりぐっと増えていたものの、慣れと仕組み化により割と難なく捌いていました。それはそれで悪くはないし、外から見たらクオリティは保てていたのかもしれません。

しかしそれは真の意味での脊髄反射で、クリエイティビティが発揮される余地はありませんでした。シモンズはいつしか僕の元から去り、ボールを淡々と機械的に捌く機械だけが残りました(奇しくも同じ時期、シモンズ(本物)も鬱を患っていたそうです)。

ある日、状況に対して心が全く動いていないことに気付きました。同僚が修羅場に置かれていてもそのしんどさに寄り添えなかったり、無意識に会社を斜から見ていたり、あちこちで起こるいろいろなボヤや困りごとの対応に悪い意味で慣れてしまったり。そういえば「やれてる感」も久しく感じられていない。なんかへんだな?と思いつつも、違和感を放置しているうちに閾値を超えて爆発したかのようでした。

気付いてしまったが最後、自らの存在意義に疑問を持つ日々が始まりました。この会社で自分は何をしてきたのか、それは誰でもできることだったのではないか、それは意味のあることだったのか、それは金だけ使わせて無駄だったのではないか、何もしない方がむしろマシだったのではないか、

ここにいる資格のある人間なのか。

大抵の仕事はそうだと思いますが、この仕事にも答えはありません。これまで無意識に正しいと思ってやってきた全てのことに自信がなくなり、疑心暗鬼気味に仕事と向き合っていた時期でした。その時期に起きたちょっとしたミスコミを契機にスコーン!と下に抜けてしまい、見かねた社長とCTOに声をかけられて俺はこれからどうやって仕事をしていけばいいのかと、話を聞いてもらったりもしました(ありがたかった)。

会社を辞めようとは思わなかったのですが、それゆえに苦しかった。大事にされるだけ、それに心理的に応えられていない自分が浮き彫りになる感じがしました。

シモンズは戻ってこなかった

そんな風に自らの仕事に疑心暗鬼を覚えるようになっていたのですが、疑心暗鬼の大元は単純で、飽きだったのかなと。

無意識に飽きていたから、心も動かなくなり、日常に疑問を持ち、自分の考え方や手癖みたいなものに違和感を持ち、仕事に手応えもなくなり、結果的に疑心暗鬼に陥って...。実はもう、あの楽しかった「瞬発力のクリエイティビティ」を発揮する時期はとっくに終わっていて、もっと深い考えの中から違いを出さなければならない時がきていたのです。「from system1 to system2」というやつです。

ただ、そのsystem2に向かうための打開策が見いだせていませんでした。それで飽きていることにも気づかず勝手にダウナーに陥るのだから、世話もないというものです。

noteでは去年から360度評価的な仕組みが導入され、希望する人3人から自分自身の客観的な評価を得られるようになりました。深く悩んでいた時期にちょうどその第一回があったので、ビジネス・カルチャー・技術とそれぞれの領域で強みを持つ方3人に評価を伺うことにしました。

すると驚くべきことに、3人とも全く同じことを評価シートに記入してきました。曰く「もうITの範疇だけで足場を整えるのではなく、もっと深く他部署と交じって会社を前に進める仕事をするべきだ」。あたかも「いや、もういい加減そんなことしててもつまんないでしょ」とでも言われたかのようでした。正解です。このタイミングでこの3人を指名して本当によかった。

さらに不思議なことに、それとほぼ時を同じくして二つの転機がありました。一つはとある全社的な「大きなプロジェクト」への関わりを得たこと。そしてもう一つは僕がどちらかといえば不得手としている「守り」に強みを持つ仲間を得たこと。

その転機は僕自身に大きな影響を与えました。

「大きなプロジェクト」では今までの経験が全く通用しないところがあったので、それまでに築いた社外のネットワークを辿りつつ話を聞いたり、そこから太古の昔に忘れてきた技術を見直すこととなったり、やったことのない技術を追うことになったりと、新たな扉が開きました。一年以上かけて探し求めた末に迎えた仲間は、アウトプットがいいのはもちろん、インプットの量と質がとんでもなく、触発された僕のインプットの質も自ずと変わりました。なにぶん根が負けず嫌いなもので、毎日(心の中で)ハンカチを噛みながら本を読んでいますが、視界がクリアになっていくのがわかります。

また(ハンカチを噛みながらも)背中を任せられるようになったので、今一度自分はどういう仕事をどういう風にしてきて、していきたいんだっけ?と、自らのビジョンに向き合う時間を思い切って作りました。内心を掘り起こして言語化する作業はなかなか苦しい(久しぶりに文章を書きながら頭を抱えた)ものでしたが、下の記事でなんとか形にできました。

苦しみながらも考えを整理してみると、あれほど探しあぐねていたsystem2への道を歩き始めていることに気付きました。何に依拠すべきかが曖昧だったところ、言語化によりクリアになって迷わなくなったのです。同時に茫然としながらも動かしてきた手が、きちんと自分の信念通りに動いてきたこともわかり安心しました。また一つ、書くことで僕は救われました。

そういうわけで今はまた会社をエンジニアリングするために、地道に石を積む仕事をしています。しかし瞬発的なアウトプットが求められた2年前とは違う、この2年で広がった視野を以てより深い考えとコミュニケーションの中から詰む石を選ぶタイプの面白さを伴った仕事です。ポジションがショートからキャッチャーに移ったイメージとでも言いましょうか、面白みの種類が変わりました。面白さを実感するうちに、感性にもまた張りが戻ってきてくれました。

僕のシモンズは結局まだ戻ってきていないし、きっと戻ってこないでしょう。もう彼の居場所はないからです。

彼と過ごした2年前の夏はなかなかに熱い日々でした。CEOはもちろん上司であるCFOが、同い年のCTOが、「一人」仲間の人事や労務やPRや経理や法務が、まだ5人だったnoteディレクターが、note proが立ちがったばかりのビジネスチームが、そしてDIY精神溢れる約40人が、それぞれの持ち場と周囲をぐるぐる回りつつ、理想と現実のギャップに七転八倒しながら組織の土台を作っていました。そこでは彼が馬車馬のようにボールを捌き、これほどまでに職場にコミットできている自分自身を生まれて初めて発見しました。

しかしもうシモンズが活躍できる場はありません。瞬発力でどうこうできる規模ではなくなっており、積む石をしっかり選ばないと今より大きなものを作っていけないからです。ちょっと工夫しないとトライ&エラーがしにくいフェーズに入っているとも言えますが、状況に呼応するように心強い仲間が次から次へとnoteに入ってきてくれています。もう一人で捌いたり対峙する必要もないのです。

シモンズはもういない。それでも彼がいた日々で得たものを上手につかいつつ、新たな扉をあけつつ、僕なりの理想を追求するのが3年目のテーマとなるのでしょう。

どえらく抽象的な話となってしまいましたが、いろいろあった今でもしばらく会社を辞めるつもりはないし、まだnoteでやりたいことがたくさんあります。いろんなことを楽しみつつ積み上げつつ、いい仕事をしていければと思います。

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