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「ブログをはじめました」2020年10月1日の投稿

※この記事は以前に書いていたブログのコピペ(一部訂正など有り)です。

こんにちは、僧侶のテンジン・ケンツェと申します。中秋の名月の本日、ブログを開設しました。

最初の投稿ですのでブログのおおまかな方向性の提示と筆者の自己紹介をしたいと思います。

当ブログの方向性

元来怠惰なもので定期的にアウトプットする場をつくって勉強せざるを得ない状況にすること、またそれが少しでも誰かのお役に立てれば利他にもつながると思いブログを開設しました。ですので当ブログには私の日々の仏教や語学(チベット語・サンスクリット・漢文)学習のアウトプット、仏教関係の情報、仏教書紹介、私の日記・雑記などを投稿予定です。

私の仏教学習は主にチベット仏教ゲルク派と日本の真言宗が中心です。

講座や伝授会、瞑想会などの紹介をすることもあるかと思いますが特定宗教・宗派・寺院への入信等を勧誘することはありません。

筆者略歴

テンジン・ケンツェ・板野
1982年生まれ。
2010年大学院博士課程を中退し奈良の某寺で得度。四度加行・伝法灌頂を成満し4年半勤務。
2014年より兵庫の寺院に2年半勤務。
2017年より南インドのチベット仏教ゲルク派の密教道場ギュメ寺に留学。2019年3月ダライ・ラマ14世法王猊下より沙弥戒とテンジン・ケンツェの法名を授かる。
2020年10月1日現在、7月で留学終了予定だったがコロナ禍で帰国できず引き続きギュメ寺に滞在中。

※ここから下は筆者の紆余曲折と恥の多い半生をだらだらと綴ったものです。お暇がある方や筆者のことが大好きな方だけどうぞ。

1982年岡山の農家に生まれる。幼少期はロボットや特撮ヒーローよりゲゲゲの鬼太郎や夏目雅子の西遊記が好きな子供だった。好きな妖怪はあぶらすまし。

小学1年生のときに祖母と妹が相次いで死去。死とそれに伴う儀礼に興味を持つようになる。

高校で不登校になるも引きこもりではなく遊び歩いていた。

定時制高校に転校し20歳でなんとか卒業。東洋大学の2部(夜間部)印度哲学科に進学。当初インド哲学を学ぼうと思っていたが必修で取った仏教の授業が面白く、それから仏教の勉強を始める。

『八十四人の密教行者』を読み、筆者のような怠惰で貪欲の強い者でもできる修行があることを知り、チベット仏教と密教に信仰が生じる。

そんなに真面目な学生ではなかったのだが成績が大学院入試の推薦基準を上回っていたので受験。ゼミの先生に「成績足りてたんだ!?」と驚かれながらもなんとか合格。

修士課程を修了後、博士課程に進学したが奈良のお寺にご縁があり、1年で中退して入寺。

初年に得度と四度加行、その後すこし開いて伝法灌頂入檀。大きなお寺で忙しく、様々な経験をさせてもらったが徐々にお寺の仕事と仏道のギャップを感じ始める。その気持は徐々に強くなり、いつしかお寺の仕事は給料をもらうためと割り切り、僅かな余暇で自分の勉強と修行をしようと思うようになる。

そのような心はやはり態度で出るもので、ついには不真面目な勤務態度から師より退職勧告を受けることになる。最初の師は厳しい人であり意見が合わないことも多々あったが、今思えばこれは「このお寺ではお前の望む道は難しいから他へいきなさい」という優しさだったのだろう。

さて7月にクビになってどうしたものかと思っていたところ、知人の紹介で兵庫のお寺にお盆のお手伝いに行ったのがご縁となってそのお寺に勤務させていただけることになった。最初のお寺は檀家さんのないお寺だったので檀務(月参り、法事、お葬式など)ははじめてだったが懇切に教えていただいた。

兵庫のお寺に勤めてからしばらくして、学生時代から付き合っていて両家の挨拶までしていた女性と諸事情により別れることとなった。実は彼女との結婚が前提にあったがために大学院を中退し就職したという面もあったのである。お釈迦様は「生活のための出家はしてはならない」と仰っているし、結婚のために僧侶になるなどというおかしなことをしてしまった悪業の結果であろう。

しかし責任を負うべきものがなくなったことで諦めていた留学に「あ、いけるじゃん?」と思い至った。そのとき34歳。1、2年準備してから行こうと思っていたが大学院の先生に相談したところ「年齢も年齢なので行くならすぐ行きなさい」と言われ、別の先生からも「お金が足りなかったら貸すので早く行ったほうが良い」と後押しされたため2017年3月で退職。ありがたいことに勤めていたお寺のご住職も応援・支援してくださった。

そして2017年5月南インド、カルナータカ州のギュメ寺に留学し、今に至る。

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