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年齢相応のボールを投げること(朗読その2)

1983年から2021年3月まで特別支援学校に務めていました。2021年3月に定年退職。運動やコミュニケーションに大きな制約があるお子さん(重度重複障害児という表記には違和感を感じるようになりました)からとても多くのことを学びました。そのことを書き綴っていきたいと思います。


話すことをやめなかったKさん

「年齢相応のボールを投げること(朗読)のJさんの目に輝き以来、年齢相応の物語の朗読に取り組んでいました。

Kさんには、Kさんが興味を持っていると思われる動物が主人公の物語を読み聞かせをしていました。物語が盛り上がる場面にさしかかると、Kさんはしきりに声をだしていました。発音を調整することが難しいために「声を出す」という表現になりますが、これは彼が何かを言っているのだと受け止めました。ことばに置き換えるなら、「えー、まじぃ!?」「だ、大丈夫か!」と言っているのだなと思いました。

その日の読み聞かせの終わりには、盛り上がるところで話してくれたことを必ずKさんに返しました。

そのような様子で、数冊の読み聞かせが終わり、当時、流行っていた吉野源三郎さんの「君たちはどう生きるか」の読み聞かせが始まりました(本を選ぶときは複数の候補を提示して、Kさんに選んでもらっていました)。すると、今までと同じように、いや、今まで以上に、主人公のコペルくんが窮地に立ったり深く悩む場面になると大きな声を出していました。コペルくんに共感しているのだと受け止めていました。

「君たちはどう生きるか」を読み始めた頃、Kさんのお母様が「夜になると長い間声を出して話している」「話しかけているように聞こえる」と伝えてくれました。コペルくんの悩みや葛藤がKさんに強く響いたようでした。

運動や感覚、コミュニケーションに大きな制約があるから何か働きかけてもわからないだろうと思い込んでしまったら、年齢相応の物語を読んで聞かせる状況は永遠に訪れないだろうと思います。自分でこれを読みたいと伝えることが難しいのだから誰かに聞かれない限り機会は訪れません。

そういう「思い込み」から片手だけでも出してみて、読んでみたいかどうかだけでも尋ねることが必要だと思っています。

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