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「できない」と「しない」の隙間(説明できないことを言うう感想)

説明できないことを言うイベントを見ました。

説明できないことを言うう。うは誤植ではない。配信で見ました。アーカイブ8日まであります。あっサムネイルは関係ないです。

4人が説明できないことを話すイベント。そうとしか言いようがないんだけど……説明できないので……

つまりはこう、お金を取るイベントや、作品発表の場は基本的に形を整えた説明できる話しかできない中で、あえてきちんと時間とお金と場所を確保して説明できない話をしよう聞こうということ。みたいな。うん、ある程度頑張って説明をしてみました。

結論から言うとすごく面白かった。インタレスティングでもあったし、ファニーでもあった。これはすごいことだ。

ねらいとしてはすごくわかる。なんとなく思ってはいるけど、無根拠な感覚をあえて共有してみたい。そういうものの存在を許されたい。

話されている内容は結論もオチもない。検証もない。別に深く共感してくれるわけでもなく、普通に「何それ???」とも言われる。ぬるっと始まってぬるっと次に行く。

ただ、出演者がそのへんのエキスパートなので、「説明できない」と「説明できる」のちょうど”あわい”の部分を気軽に楽しめる形になっていたように思う。マジのマジの「説明できない」ことは傍で聞くこともできないんだと思うので……人選の勝利……

勝手にちょっと思ったのは、「説明できない」ことには2種類あって、それは「説明できない」ことと「説明しない」ことに分けられるような気がするということ。

今日あったことを書いて見せろ、と言われたとき、その詳しさや取捨選択の度合いは人によって違うだろう。そういうのって、おそらく先入観というか、固定観念というか、もしくは自意識か、そういうものに無意識にコントロールされている。会社へ行こうと家を出たときに引き戸がちょっとサビ気味でひっかかりがあった、ということを書く人がどれだけいるだろう。「8時、出勤。」とかで済ます。ちゃんとそう思いはしたのに。書いても誰にも咎められないのに。

そういう、知らぬうちに零れ落ちていくことたちを拾いあげるのって、拾う訓練をしているか、そういう才能があるかでないと難しいことだ。

説明できないことを安心して言える場(p4cで言うところのセーフティに近いかもしれない)と、説明できないことを言える人たちが揃った独特の時間だったなぁと思う。

う〜ん、これも説明できている気がしないなぁ。とにかくなんか良かったですね…

内容じゃない話をすると、内容に関してでなくても布陣が最高でしたね。両端2人が流石の話し上手で、真ん中2人が静かに高破壊力の話をしている感じがしていて素敵だった。よくこんな結論のない話で人を2時間引き込んでいられるな……


しかし良いなぁ~こういうトークイベントっていいよね。こういうのがぽこぽこあるのが東京という街のいいところだな……東京カルチャーカルチャーとかってなくなっちゃうんだっけ、さびし~~~


次もあるそうなので楽しみです。


今日はここまで。ありがとうございました。


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