見出し画像

メモリ残して時は過ぎ

技術って進歩するものですね。

USBメモリを買いに行った。

以前、「円盤で買うかデータ販売で買うか悩んでいる」というような話をしたのだが結局、データ販売で購入することにした。ストリーミング再生とDLができる。

買った瞬間にとりあえずPCにすべてのコンテンツをダウンロードした。画質が選べたので、一番高画質で。

TVで見たかったのだが、私の部屋にあるのはPCをつなげるのがなんかこう、いろいろと手間とか配置の工夫とかのいるTVだった。ただ、DVDプレイヤーにUSBメモリを差し込むことができたので、USBに落として鑑賞すればよい。なんなら入れっぱにしてその専用USBを円盤代わりにしても良い。本末転倒だけど。

と思って手持ちのUSBに移そうとしたのだが、空っぽのはずのそれにファイルが移せない。ググったら、4GBを超えるファイルってそのままだと映せないんですって。へ~。設定を変更。これでいけるはず。

しかし、入らず。容量が足りないんだって。よく見て気づいた。このUSBメモリ、2GBしか入らないじゃん。

10年は前に買ったメモリ。大学時代に家で書いたレポートを学校で印刷するために使ったりしていたやつで、PDFとかWordファイルとか、軽いデータしか入れたことがなかったから、さほど容量を気にしたことがなかったのだ。いや2GBて。

家電屋にいってUSBコーナーを見たら、まぁ安い。というかもう2GBなんて容量がちっちゃいものは売ってなかった。せめて8GBから。でっかい64GBとかでさえ千円ちょっとで買える。

USBメモリなんかそうそう壊れるもんでもないから、使おうと思えば長く使える。けれど、その間にも容量や速さはどんどん良いものが生まれているし、それが当たり前になって安くもなる。

例えばガラケーなら、「ボタンをきっちり押せた方が良い」「ネットはしない、電話機能があれば良いから」みたいに、そちらを選ぶ理由もなくはないだろう。俺はこれでいくんだ、と思想的なもので選んだって良い。

しかし、USBメモリはどうだろうか。10年前の2GBのUSB、使う意味が全然ない。新しく大きいの使った方がいい。「あえて」の理由あるかな。思いつかん。

PC教室が業務用にとにかくクソ安いのが必要だ!みたいなこと?まぁでもそれはまっさらな場合で、当時の価格より安く倍なんてもんじゃないサイズが手に入るならコレにこだわる意味ある?

まぁ言うて捨てたりはしませんけど。軽い書類入れて使いますけども。

ただ、こういう系のデジタルの進歩によって時代遅れになっていくものって、例えばアップデートであったりだとか、サポートの終了だとかで引導を渡されるタイミングがあるものが多い気がする。あちらの都合で完全に使えなくなるのだ。今までそうやって別れを告げてきたものが多かったから、今回はなんだか新鮮に驚いてしまった。技術革新~~~~~~~


今日はここまで。ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?