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#5 「失敗と挑戦」 2年 脇谷咲花

こんにちは。関西学院大学サッカー部女子チームMGR2回の脇谷咲花(わきたにさくら)です。私は、マネージャー兼審判員としてチームに所属してます。何を書こうかすごく悩みましたが、いつも何も考えてなさそうってよく言われるので自分の考えてることを書かせていただきます。
拙い文章ですが読んで頂けると幸いです。

「なんで審判やってるの」って聞かれる事が多いのでその経緯からお伝えしたいと思います。
私はプレーヤーとしてのサッカー経験はありません。ですが、サッカーの審判員として活動してます。
お父さんが元々サッカーをしていたということもあり、小さい時からエディオンスタジアムに行きサンフレッチェ広島の試合を観るという習慣がありました。小さい時からサッカー観戦が生活の一部でした。夜は必ずと言っていいほど、お父さんとDAZNでサッカー観戦、口をひらけばサッカーの話題でした。ホーム戦だけでなく、アウェイ戦も行くぐらい家族みんなサッカー観戦が好きです。でも、サッカーをしたいとはなぜか1ミリも思わなくてただ観るのが好きってだけでした。

そして、高校に入学しマネージャーとしてサッカー部に入部しました。高1の6月。興味本位で資格を取得し審判を始めました。自分の笛ひとつで試合を左右する楽しさ、プレーを1番近くで見ることのできる楽しさ、とにかく楽しいしか思いませんでした。有り難い事に、サッカー部の外部コーチが元国際審判員の方でレフリングをマンツーマンで指導していただける環境がありました。そのような環境や縁もあり広島県サッカー協会のユース審判員として審判活動が本格的にスタート。1年後の高2の夏、3級に昇級。3級になると審判の活動範囲も広がり、大人の上級審判員の方と組ましていただくことや全国につながる予選の審判派遣などが増え、自分自身も上を目指したい気持ちが芽生え「プロの試合で審判すること」がいつの間にか目標となってました。ですがそう現実は甘くなくて、高校の間は環境的にも男子の試合を審判することも多く、時には「女だから」って侮辱的な発言をされたこともありました。めっちゃ悔しかったし情けなかったのを今でも覚えてます。でもそん時「辞めようかな」とか一切思わなくて、むしろ「辞めたくない」「もっと上手くなりたい」って思って無我夢中に審判活動を続けてきました。

そして、大学進学と同時に関西で審判活動が始まりました。結構審判環境も変わって、なかなか慣れんくてうまくいかんことだらけで逃げてばかりいました。正直、去年1年間は上手く吹き切れたって思う試合があんまりなくて審判する楽しさが薄れた時もあり辛かったです。試合中も「なんでやってるんじゃろ」って思う時間が増えて、好きなことなのに、やりたいことなのに、挑戦するのが怖かった時もありました。ですが、目標である「プロの試合で審判すること」の気持ちは消えませんでした。そんな悩んでる時期に、村上伸次さんという元Jリーグ審判員の方に出会いました。

「失敗してもいいから粘り強く挑戦し続けなさい。」
  
私の審判指導をしてくださった時に、村上さんは何度もこの言葉を繰り返し指導中口にしておられました。目標とか掲げることは誰にだってできるけど、それに向かって行動するかは自分次第で、"どんだけそれに向かって追っかけられるか"、"逃げずに挑戦できるか"、が何においても大切になるって意味がこの言葉にはある気がします。私はこの言葉をモットーに目標である「プロの試合で審判すること」に向かって逃げずに挑戦する事を決心しました。

人間誰しも生きてたら思い通りにいかんくて自分が情けなくなったり悔しくなったりする時もあるし、頑張らないといけない時が必ずあると思います。自分の力で這い上がっていく事が必要ですが、目標に達成するまでの過程でたとえ失敗したっていいし、休んだっていいです。自分らしく目標に向かってやり続けることが大事だと思います。あと笑顔を忘れないでください。しんどい時こそたくさん笑ってください。きっと良いことあります。

そしてなんて言ったって、サッカー部には尊敬できる先輩、同期がいます。心強い味方です。自分にはない価値観や足りない部分を周りの人たちから学ぶことができる環境は、プラスでしかありません。私はそんな環境を大切にしていこうと思います!

最後になりましたが、まずは今年2級審判員に昇級し、マネージャーとしてだけでなく審判面においてもチームに貢献できるよう頑張ります。

長くなりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました!

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