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「サウダージ良いよね」

私は音楽に疎く、みんなが知っている曲を知らなかったりします。そんな私でも好きな曲は色々あるんですけど、その中でも異様に大好きな曲がポルノグラフィティのサウダージ。どこが異様かって、他の好きな曲は「ここの歌詞に共感する」とか「ここの歌詞に励まされる」とか「この曲を聴くとあの頃を思い出す」とかなんですけど、サウダージに関しては「なんか聴いてしまう」みたいな曖昧な好きにも関わらず何回も何回も聴いてしまうんです。私もみんなと同じように「あの曲良いよね」という会話を幅広くできたら良いなと思っているので、ポルノグラフィティの有名な曲、「テレビで聴いたことあるなぁ」という曲をいくつか聴いたりしたんですけど「やっぱりサウダージが良い!」と何故か思ってしまうんです。だから結局サウダージを何回も何回も聴くという異様に凝り性な自分を継続してきました。
でもふと「私はちゃんとポルノグラフィティを聴いたこと今まであったかな?iTunesで聴き流してはいたけれど、ちゃんと歌詞を読んで聴いたことないな」と思い、今度はちゃんと歌詞を見ながらいくつか曲を聴きました。そしたらどれも良い曲なんですね。歌詞から想像してメロディからそれを体感するような良さ。ただその想像って景色のようなもので、作り手が何故そこにいるのか何故その表現なのかさっぱり分からず、ショックだったのはあんなに好きなサウダージも分からなかったことです。しかも歌詞を読めば読むほどポルノグラフィティはなんかこの世の重大なことに気付いているような気がしてきて、なんというか私が普段見過ごしていることをポルノグラフィティは明確にキャッチして表現しているような気がしたんです。
そこで私は「なんとなくこの曲はこういうことを言いたいんだろうなぁ」とざっくり全体が見えやすかったアポロを私なりに意訳しました。


すっげー昔にアポロは月に行ったというのにさ…
人気のデジタル時計ってことはアナログ時計より早く進むの?そんな風には見えないけどな〜
なーんて考えてたら色々意味あり気に思えてきた。
すっげー昔にアポロは月に行ったというのにさ、一方で
自分らは未だに愛を模索中。
移り変わる世の中をいちいち正確に記憶しなくても良いかな〜でも自分の夢は忘れたくないよね。
世の中色んなこと言う人いるけど、それにいちいち振り回されるのは「自分は将来こうしたい!」ってのが明確じゃないからじゃん?
てことはすっげー昔のそのまたすっげー昔からアポロ計画始めてたんだね。
多分そいつらは本気で「月に行こう!」って思ったんだろうね。それって自分らが昔から探し続けてる愛の理想像じゃん!
自分らが普通に過ごしてる間にアポロはどんどん前進して行きそう。遠距離恋愛でも月からメール送れたりすんのかな?ロマンにも程がある!!!
すっげー昔にアポロは月に行ったというのにさ、一方で
自分らは未だに愛の模索中


なんか一気にポルノグラフィティの良さがなくなってしまいましたが
月に思いを馳せた誰かが「月に行きたい」という自分の思いを現実的に計画して本当にそれを実現させた。当時その夢は「お前何言ってるんだ」と言われる話だったかもしれない。夢とか愛とかって「人間の思い」から始まって、それを試行錯誤しながら積み重ねて追い求めて得られるものなのかもしれない。「人間の思い」を乗せたアポロにそんなことを感じたのではないでしょうか。

続いて本命サウダージ。


私は私として生きて行きます。
またあなたに会える日まで一旦今までの恋心からは離れます。
もう何も言うな。今から何を言おうが何をしようが「あなたは去っていく」ということを私は理解しているので。
こういうときに「行かないで〜」とか言ったり泣いたりする女は可愛いんだろうけど、私は見つめ合って最後は笑顔を向けました。
悲しみが溶けて涙になるのだとしたら、私はこの涙を全部飲んで悲しみや痛みを自分の中に入れておくことで心の中のあなたと一緒にいたい。
これが今の私の精一杯の恋心です。側からみたらおかしくても許して下さい。あなたが近くにいたときに思い描いてたものは白紙になりました。当時のような恋心からは一旦離れます。
人生を進めていくうちに「あの時あなたはこういうこと言いたかったんだな」とか「あの頃のあなたはこういう状態だったんだな」とか冷静な頭で少しずつ理解できるようになりました。更に人生を進めていくと今度は少しずつ分からなくなってしまいました。それは昔のこと過ぎて「あの時のあなた」を正確に思い出せないからなのか、自分が少しずつ変化しているのかそれすら分からなくなってしまいました。その時私は思った。「あれだけ自分の中で大切にしていた愛が少しずつ消えている」と。少しずつ消えていく愛が今は切なさとして残っている。
あなたから受け取った言葉、あなたに伝えた言葉、愛を持ってやりとりした言葉まで今となっては普通の言葉になってしまった。
もう日常会話も嫌になってきた。誰にも何も言われたくないし私も何も言いたくない。あなたから受け取った愛のある言葉とかあなたという存在を思い出したい。
流石にそれは不可能かもしれない。諦めた方がいい。あなたに「私は今寂しい」と伝えたい。
誰かを好きになったり嫌いになったり、出会いが来たら別れが来たり、とかは当たり前だし、生きていくとはそれを繰り返すこと。
これが今の私の精一杯の恋心です。側からみたらおかしくても許して下さい。あなたが近くにいたときに思い描いてたものは白紙になりました。またあなたに会える日まで当時のような恋心からは一旦離れます。
でもあなたと一緒にいた頃、「この愛は永遠だと思った」だから私はあなたを忘れても私が変化しても恋心が形を変えても精一杯でもそれは永遠の恋心であることに変わりはない。私はこの永遠の恋心と共に人生を歩みました。


これ書いてて気づいたんですけど、「私は生きたわ恋心と」で終わるのが「結果そうなった」という気がして、渦中ではなく後から振り返っているように思えるんですよね。それ以外はその時その時の感情に聴こえます。「繰り返されるよくある話」から振り返りにもとれるけど、「あなたの側では」から振り返りな気もする。曲を通して聴いたときに「あなたの側では」から音が高くなることからもそこから渦中とは切り離されているように聴こえます。

こういうのって作り手が語らない限りは聴き手によりけりだし、私が意訳してる時点で私フィルターがかかっているのでやっぱり曲そのままを「なんか良い」「ここが特に好き」くらいで楽しむのが健全だし作り手への敬意でもあるなと思いました。

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