面白さが無ければ、読まれない時代に。

面白さと真実のバランス

世の中面白いものでなければ受け入れられない時代だ。
しかし面白ければいいというものではない。面白さの対極にあるのが複雑な統計や研究で裏打ちされた本当の真実だったりする。

このMIXをどんな配分で行うかが難しい。
何かあたしいことを受け入れてもらおうと思った場合、エンターテイメントつまりわかりやすい!であったり面白い!感動した!っていう心の動きをどれだけ作れるかと、本当はこういうところに注意書きがあるんですよとかこういう人を対象に行われてるんですよとか男性が対象なのか若い人が対象なのかお年寄りが対象なのかって言ったものの詳細な中身のバランスが難しい。


例えば一例を挙げると健康番組。
大体が「こんな危ない症状が無いですか?こんな恐ろしいことがあなたにも起こりますよ」という風に感情を煽って、それに対して
「これを食べればいいんですよ」
「こんな簡単な運動続ければいいんですよ」
という風に一つの極端な答えを導きだしていることが多い。

実はこれってものすごく危険なことで、じゃああなたが何歳なのか、男なのか女なのか、どういった基礎疾患を持っているのかどこかに痛みがあるのかどういう背景で生きているのかというものはまったく処理されずにその答えを与えられることになる。

例えば朝バナナダイエットをするとしよう。
あなたは糖尿病患者であったり透析をしている場合であれば、血糖値の上昇やカリウムの摂取など気を付けなければいけないことと、そのバナナだけ食べるようなダイエットは両立できないのである。

しかしそうした細かいリスクの話はないままに健康番組は続いていく。
専門家も出てくるが、その専門家も本当に専門家の研究をしている方が、その観点からの言葉を述べているのか、それともテレビ局が作った台本をそのまま読むことを許諾してくれた専門家なのかはわからない。

しかし専門家が述べることで、権威づけの影響力がプラスされてしまう。

世の中が全体的に簡単な解に飛びつきやすい傾向にあるのだと思う。
簡単にしなければその方法を実践してくれないという、私たち受け取りて側の問題もあると思われる。


じゃあ実際に詳しい学会などに行けばどうなるのかと言うとそれはそれでまた詳細な事実の応酬があるわけでそんな詳細な事実を言われても人はあまり動きたがらない、エンターテイメントには程遠いのが実際である。
(そのマニアックさを面白く感じるのが専門家なのだけど)


こと健康や医療に関しては、伝えて側の熱意であったり、伝え手側のリテラシー自体も試されている。
なので分かりやすくするということは同時に複雑な様子を関わる因子を省いているものを受け取っているというふうに私たちもきちんと理解した上でそれらの情報に触れ合う必要がある。
作り手側は、聞き手のリテラシーがどの程度なのかを把握する必要がある。そしてもし単純なわかりやすい情報を与えるとした場合、相手側のリテラシーを下げてしまわないのかということに配慮して伝えていく必要がある。

だらだらと思ったことを書きましたが、自戒としてもメモっときます。


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