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ゆっくりとした成長に寄り添うことができる「ゆたかさ」

新型コロナウイルスによる緊急時代宣言は、僕に

いまここに向き合うこと
ゆっくりしたペースの成長を見守れる余裕

をくれたのかもしれない。というお話です。

・・・・

新型コロナウィルスによる緊急事態宣言によって、強制的に家族が家もしくはその周囲の空間で過ごさなければならなくなった。

それは大人にとってもストレスが掛かるものだったけど、何にも縛られたくない子供たちにとってはなおさらのことだ。

幸い自分の地域は発症者もおらず、普段から3密を作ることが困難なほどの過疎地域のため子どもたちは広場などで遊ぶこともできていた。

子供たちの成長は緊急事態宣言下でも日々続いていく。ゴールデンウィーク中に長男はいくつかのことが出来るようになった。

 ・自転車(補助輪なし)に乗れるようになった。

 ・自分の疑問を言語化できることが増えてきた

 ・宿題を進んで取り組めるようになった

特に大きかったのは自転車(補助輪なし)に乗れるようになったこと。

そしてその練習に自分が時間をかけて寄り添うことができたこと。

「いやいや、練習に付き合うのはアタリマエでしょ!」という声が聞こえてきそうだけど、付き合うというとあれやこれや手をかけたり手伝ったりすると思うんだけど
「今は時間もあるから、本人が乗りたいようにさせよう」
と思ってあまり声をかけず、見守ることにした。


運動神経のそれほど良くない息子は、急に自転車に乗れるようになるわけじゃない。だいたいこんな調子。

息子「よっしゃ!今日こそ自転車~♪自転車乗る!」
僕「乗れる!乗れる~!(おだててやる気アップさせる)」

そもそも1mも進まない。ふらつくのを怖がって両足が地面から離れることがない。。。

息子「・・・もう僕は自転車に乗るの飽きた。乗れなくていいし!」
僕「・・・なんで飽きたの?」
息子「…ふらふらするのが嫌!!(コンクリじゃなくて)地面の上じゃないから漕げないんだ
僕「じゃあ場所変えるか?」

~~~(場所移動)~~~

息子「よっしゃ!自転車~♪自転車乗るぜ!」
僕「乗れる!乗れる~!(おだててやる気アップさせる)」

場所が変わってもそもそも進まない!むしろ雑草が邪魔して全然進まない

息子「・・・もう僕は自転車に乗るの飽きた。乗れなくていいし!」
僕「( ゚Д゚)

そんな日々を数日繰り返した。

忙しい日であったり、単発の休みでは予定を入れてしまえば、すぐやる気をなくす長男に付き合い続けることはできなかったかもしれない。


でもやれることもないので密を避けて、場所を変え、空き地でひたすら自転車に乗ってやる気をなくして、また自転車に乗ってということを繰り返してやっと、、、


「あっ」


乗ることができていた。

(息子が思ったほど喜ばなかったのはご愛嬌、、)


・・・・

これは何も豊かな出来事が起こったわけじゃない。自分が強制的に載せようともせず、本人のペースに付き合うだけの余白の時間があったからこそ、感じられた感情だったと思う。

早く乗れるようにと思ってあれコレしていたら、時間もかからなかったと思うが、逆に変な達成感を感じたかもしれない。

でも今回は
「あぁ、自分なりに試行錯誤して、ゆっくり成長していけるんだ」というなんとも言えない感動を貰う事ができた。



もっと言えばそのゆっくりした成長というものに寄り添うだけのこちらの時間的な余裕・心の余裕というものが、豊かさを感じる源泉だったのかなと思ってる。


そういえば社会人になればどちらかというとその成長の過程よりも早く成長すること早く即戦力になることを求めたり、求められたりしてきた気がする。




であるならば、僕が日常に豊かさを感じるためには、自分の成長そのものを楽しめるような時間的・精神的余裕というものなのかもしれない。


そんなことを気付かされた連休でした。

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