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俺物語ー吉田晴哉(経3)

〜俺物語〜

タイトル:俺の野球史

皆さん、こんにちは!

副主将を務めております吉田晴哉です。

まず初めに、日頃より関西学院大学体育会準硬式野球部への多大なるご支援、ご声援ありがとうございます。

本日は俺物語ということで僕の野球人生について書きたいと思います。

僕は父親の影響で物心つく前からボールを握らされ、自動的に野球人生が始まり、小学校1年生の時、名前がかっこいいと有名な広田フレンズに入団し、本格的に野球を始めました。

中学ではクラブチームの兵庫タイガースに入団しました。ここが初めての挫折です。小学校では本気でプロ野球選手になれると思っていましたが、現実はそう簡単ではありませんでした。中学生になるとどんどん体格差が著しくなり、チームで一番身長が小さく、ボールも遠くに飛ばせない、遠くに投げれないといった最悪の日々が続きました。この時期は練習に行くのも嫌で、全く野球が楽しくなかった記憶があります。
高校で野球を続けるか本気で迷っていましたが、両親に背中を押され、野球を続けることを決めました。

高校は関西学院高等部に入学し、硬式野球部に入部しました。部員は同学年に46人と非常に多く、初めての練習でセカンドに13人もいて絶望した記憶があります。しかし甲子園に出るのが昔からの夢だったので、死に物狂いで練習しました。毎日朝早く起きて、朝練をして全体練習が終わったら残練をして、本当に野球漬けの毎日でした。ずっと一緒に自主練やってくれたM渕君ありがとう。それでもベンチにも入れず、スタンドで応援する日々が続きましたが、最後の最後にベンチに入ることができて本当に嬉しかったです。悔しい事が多すぎた高校時代でしたが、いい青春時代だったと思います。

高校野球も終わり、野球人生に区切りをつけ、母校で学生コーチをしようと思っていました。しかし、3年間お世話になった学生コーチの一言で、後4年間準硬で本気で野球をすることを決めました。今思えば、この決断が野球人生の中で1番の転機だったと思います。あの一言がなければ、準硬の最高の同期にも出会えていませんでした。学生コーチの方ありがとうございました!

大学では準硬に入部しました。野球人生の最後ぐらいは主力として試合に出たいと思っていたので、とにかく練習しました。その結果、2年の春からレギュラーに定着し、2期連続MVPや首位打者などのタイトルを取ることができて、やっぱり諦めんかったら努力って報われるんやなあって思いました。
そして自分の代になり、迎えた去年の秋リーグ、収穫はあったものの、課題が多過ぎるリーグ戦となり、結果は2位となってしまいました。また先輩方が積み上げてきた4連覇を逃してしまいました。先輩方本当にすみませんでした。

そしていよいよ最後のリーグ戦です。

個性豊か過ぎてクセが強過ぎる同期とちょっと生意気やけど可愛い後輩たちと最高の仲間と野球ができて本当に幸せ者やなあって思います。そんな仲間と日本一取ったら、もう言うことはありません。正直本気で日本一なれると思います。

出れるけど入られへん佐賀いこ!

めっちゃ頑張ってくれた主務の杣木にもう一回合宿手配させてあげよ!

今までの野球人生、それぞれ色々あったと思うけど、最後は日本一なって最高の野球人生にしよ!

人生の大半を捧げた野球人生の集大成
みんなほんまに頑張ろな


最後になりましたが、我々が現在活動を続けることができているのは応援してくださる皆様の支えがあってのことです。最高の形で恩返しできるよう部員一同活動に励んで参りますので、今後とも変わらぬご支援とご声援をよろしくお願いいたします。

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