見出し画像

俺物語-田高昇英(人福3)

〜俺物語〜

タイトル:野球一筋14年

1度も野球が嫌いになったことがない野球一筋で生きてきた私の野球史をぜひ最後まで読んでいただければ幸いです。

私の野球人生は大人になっても野球をしている父とソフトボール部だった母の影響もあり3歳頃子供用の茶色のグローブを買ってもらったところから始まった。常に野球ができる環境があって教えてくれる父が近くにいて野球をするには最高の環境だったと思う。

野球をする父のかっこいい姿を見て憧れて、小学生になり当たり前のように学校の野球チームに入った。父が少年野球チームの監督をすることになり、自主練習が嫌いだった私に根気よく、厳しく時には優しく教えてくれました。土日の練習は楽しくて1日練習もあっという間だったことを覚えている。夏休みで練習がない日にはチームメイトみんなに電話をして人を集めて野球をして遊んでいたことが懐かしい。そんな野球少年だった。

中学生になり、新しい仲間とともに練習に励んだ。3年生の最後の試合は自分のミスで負けた。あと1歩前で守っていたら結果は違ったかもしれない。そんな悔しい最後だった。小中ともに県大会でいいところまではいけるチームだったため余計に悔しかった。しかし、野球が嫌いになることはなく、高校でも頑張りたい。そう思っていた。
進路を決める時、地元の高校で硬式野球をやるつもりで推薦入学志願書を提出するだけになっていた状況で、中京高校軟式野球部から「全国優勝をしないか。」と推薦のお話をいただいた。私は全国優勝という言葉に、心打たれて地元の高校には願書を出さず、中京高校への進学を決断した。
何一つ不自由なく練習させてくれ、今まで野球を教えてくれた父、あと3年実家にいると思って弁当を作ることを楽しみにしていた母、寂しい思いをさせた妹たち、遠いところまで応援に来てくれた家族みんなの支えがあってみんなが背中を押してくれたから決断できたと思う。ありがとう。

高校に入ってからは365日野球のことだけを考えて生活した。全国屈指の強豪校だけあり平日6時間以上、休日10時間近く練習している日もあった。でも、全体練習が終わってからもノックをしてバッティング練習をしてそんなしんどい日が楽しかった。それは高め合える仲間、教えてくれる優しくてたまに怖い先輩、可愛くて頼もしい後輩、熱心に教えてくださる指導者がいたからだと思う。
高校2年生の時、控え選手ながらベンチ入りを果たし選手権、国体共に全国優勝を果たした。試合に出ることはなかったが全国優勝の景色を見せてもらいより一層自分達の代でも全国優勝したい。4連覇したいと強く思い新チームがスタートした。
新チームが始まり、地区大会で負けてより一層練習が厳しくなった。しかしそんな厳しい練習にも耐えてやっと新シーズンが始まる。そんなとき、新型コロナウイルスによって練習中止。中止期間も毎日練習は欠かさなかった。5月20日。恐れていた事態が起こった。夏の大会が中止、全国4連覇への挑戦権が無くなった。その時は大会がなくなった実感が湧かなかった。中止が決まってチームでミーティングをしたが、それでも大会が無くなったことが信じられなかった。2日後、母と妹が泣きながら慰めてくれた瞬間に悔しさとか申し訳なさとか色んな感情が溢れてきた。悔しかったのは自分だけじゃない。もっと頑張らなくては。そう自分に言い聞かせ、最後まで練習に取り組むことができた。そんな困難も乗り越えて、監督、コーチ、仲間、友達、そして家族、たくさんの方に支えられて3年間中京高校での野球生活を終えた。

大学では高校の目標であった全国優勝をもう一度目指すため、関西学院大学に進学し、準硬式野球部へ週部することを決めた。先輩から同期まで全員が明るく面白く野球が上手く最高の環境で野球に取り組めた。しかし、1回生の冬。年末年始のオフを明けて練習再開をした際、肩を痛め、満足するボールが投げられなくなった。好きな野球ができない辛さとみんなに置いて行かれている気持ち、野球を諦めたくない気持ちが自分の中でぶつかって、痛いのを我慢して半年練習を続けた。しかし、肩が痛いのは治らず限界を感じ、選手を諦め学生コーチになる決断をした。
選手のとき学生コーチの印象はノック係。練習の補助のイメージが強かったが、実際はチームを外から見て野球に詳しく、みんなの成長を1番に喜べるポジションだとやっていくにつれてやり甲斐を見つけ熱心に取り組んだ。自分たちの代になって5人の幹部と共に楽しくて強いチームを作っていこう、キャプテンの裕也が目指す全国優勝に向けてどうしたらいいのか5人で意見を出し合って運営した。

秋リーグでは負けて悔しい思いもしたけど、勝って最高に嬉しい思いもした。ついに学生生活最後のリーグ戦が開幕する。負けて悔しい思いはもう要らない。あとは勝って勝って優勝するだけ。俺らはやることやってきた。関学らしい最高の雰囲気の野球をして頂の景色見に行こうや!
俺はみんなのヒットが見たい。アウト取って喜ぶ姿が見たい。ベンチで笑いながら試合を楽しんでいる姿が見たい。そして関学が勝って優勝して胴上げされる裕也と伊藤さんが見たい。
あと残りの学生野球人生最後まで全力で走り切りたいと思う。


最後に。今まで野球をする中で支えてくれた全ての方々。たくさんの方に恵まれて最高の環境で野球ができたこと、野球の技術だけでなく1人の人間として成長させていただけたこと本当に感謝しています。本当にありがとうございました。
特に家族にはいろんな迷惑かけたけど、最後まで大好きな野球をさせてくれてありがとう。自分たちの代で全国優勝する姿見せられる時までもう少し待っていて下さい。最後まで応援よろしく。

長くなりましたが、これが野球を1度も嫌いになったことがない私の野球史でした。
最後まで読んで頂きありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?