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俺物語-北村先(人福3)

皆さん、こんにちは!
広報を務めております北村先です。

まず初めに、日頃から体育会準硬式野球部への多大なるご支援、ご声援ありがとうございます。

現在、始動した「俺物語」という企画は私が考案した企画となります!
企画を始めた意図としましては、最上級生のlast yearにかける想いや、これまでの野球史など様々な思いを綴ってもらい、弊部の最上級生のことを皆様にもっと認知していただきたく始めた企画となっております。
同級生のみんな!普段、言葉ではなかなか伝えられないことも、ここでは自由だ!曝け出した文章を期待してるぞ🫡
※コンプライアンスは守ってね💕特にケンピらへん

そして、是非皆様も全てのブログに目を通して、各選手の思いに目を向けてくださいね♪

それでは、ここから私の俺物語について書かせていただきます。私の俺物語はこれまでの野球人生と家族への感謝の気持ちです。ご愛読ください♪

〜俺物語〜

タイトル:オラの野球人生だゾ

私が野球を始めたきっかけは、父と父の先輩が小学校の頃に、地元で結成した野球チームの焼肉パーティーに招待されたことがきっかけです。父に焼肉をご馳走すると言われお店に食べに行くと思いきや、近くのグランドまで連れて行かれました。そこにはユニホームを着た同年代の子供やコーチの人がたくさんいて、私の知る焼肉店と違う印象を受けました。いきなり知らない人達の真ん中に座らされ、パーティーがスタートしました。お肉を一枚口に入れた瞬間、髭面で強面の父の先輩(監督)に「肉食ったな、ほな入部決定や」と一言伝えられ、次の日から僕の野球人生がスタートしました。小学校の記憶はあまりないのですが、最後には主将を任され、関西で3位になったりと凄く野球を直向きに頑張って、とても楽しかった記憶があります。

少年時代

中学生になると、学校の野球部に入部しました。ここで初めて、野球を嫌いになりかけました。顧問の教師とそりが合わず、毎日、目の敵にされてしまい、グランドでも学校でも毎日怒鳴り散らかされていました。先輩も個性的で、一日一肩パンとスタンプラリーのようにまめにご指導いただきました。おかげで丈夫な子に成長することができました。また別の日には、いきなり職員室に呼び出され退部届の印鑑のところだけ空欄の書類をもらい、ここにハンコを押してくれと頼まれたこともありました。とても悲しい気持ちになりました🥺
そんな野球部の内情を母に伝えると、忍耐を学ぶ良い勉強の機会だとポジティブな一言をご教授いただき、なんとか退部は魔逃れ3年間野球部での活動を成し遂げました。この経験は、私にとって、どんなに辛いことでも耐え抜く精神力を学ばしてくれた良い機会だったと今では思っています。顧問の名前と顔は死んでも忘れません。

高校は、地元の進学校に入学しました。硬式野球部が公立の中でかなり強いと噂を聞き入部しましたが、グランドでの硬式球の実打練習が禁止されていたり、陸上トラックの中で練習するなどかなり劣悪環境であることを入学時に知らされ度肝を抜かれた記憶がございます。ですが、そんな劣悪環境化の中でも工夫をすれば野球ができるともがき続けた教師がいました。マウンドを作成したり、どこかの工場からもらった鉄棒を加工してマスコットバットを錬成したりなど、おかれてる環境のせいにせず、自分達で工夫して何かを変える前向きさが大切だと教わり、今でも心の糧として大切にしています。そして、高校野球生活では、一年生の頃からスタメンで試合にださしてもらい、最後には副主将を任され、コロナで甲子園は無くなったもののとても充実した野球生活を送ることができました。

高3の夏

大学では準硬式野球部を選択しました。正直、大学野球が一番濃い思い出を作れた場になりました。嘘の法事で欠席し、富士急ハイランドで観光していた私の元に、入部して仲の良かった部員(K君)が無断欠席でたった今、強制退部になったと報告を受け、とても冷や汗をかいた思い出や、その後も同期が謹慎になったりと同級生のスキャンダルの多さ、幹部の冷酷な独裁政権ぶりにはとても驚愕しました。

前列左から2番目:のちに謹慎になる矢崎
前列左から3番目:のちに退部になる木村


私も2回生の合宿でホームランを放ち、Aチーム入りを果たすも、その後の宿舎で問題が発生し(合宿たばこ事件参照)、準硬史上最速で2軍落ちを通告していただきました。今となっては最高の思い出ですね!この時期は無心で部活動に取り組みました。外野の隅で空を眺めるのが心地よくてフリー打撃の守備の時間が至福のひとときでした。ふと気づくと先輩が引退し、そこからがとても楽しい北村の最上級生編の幕開けでした!謹慎だった矢崎君が8ヶ月ぶりにユニホームを着てグランドに来たり、初めてのリーグ戦ではスタメンで出場さしていただき、結果はともあれ試合にださしていただいた幹部、それを応援してくれている部員の皆様には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。応援団やチア、吹奏楽部の方々も毎試合大きな声援を送っていただきとても気持ちよく野球ができています。本当にありがとうございます♪

誠大に担ぎ上げられる僕
永久欠番 背番号7



〜幹部並びに同級生の皆様へ〜

これまで同期の幹部にはたくさんご迷惑をおかけしました。2回の合宿で問題を起こした時も、同期の幹部が先輩たちに頭を下げてくれたとも聞いています。特に福島と杣木は、しこたま頭を下げて幹部のお許しを乞うてくれたと聞いています。まじで助かった!
最後になってこの準硬を振り返ると、私たちが楽しく野球をできたのは幹部が影で支えてくれていたからだと思っています。本当にいつもありがとう。
主務の杣木は合宿を含めその他の沢山の激務をこなしてくれて、本当に感謝してます♪よぉ頑張ったお前は!あっぱれです!
同期のみんなは、本当に良い人ばかりだったと思います。みんなからは多くのことをこの4年間で学ばさせていただきました。とても尊敬しています。ここまで誇れる仲間は人生で初めてできました。周りに自慢できる良き友です!4年間本当にありがとう。そしてこれからもよろしく!
最後のリーグ戦、何かでチームの役に立てるようにという気持ちで挑みます!絶対日本一をとってみんなで笑って引退しましょう!

〜後輩へ〜

野球も上手く、人としても尊敬できる素敵な子達(浅野を除く)に巡り会えてとても幸せでした。
後輩マジで大好き❣️引退してからもずっと応援してます。



〜そして最後に両親へ〜

母よ、炊事に洗濯、送迎など全面的にサポートしていただき本当にありがとうございます。僕が最後まで野球を続けられたのも母のサポートなしでは到底考えられません。敢闘賞を贈呈します。

父よ、金銭的に厳しかったなかで野球を続けさせてくれたのは父のおかげだと母から聞いております。本当にありがとうございます。感謝感謝

以上を持って、北村先の俺物語とさしていただきます。ご愛読ありがとうございました。

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