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俺物語ー徳田理来(商3)

〜俺物語〜

タイトル:エンジョイ・ベースボール

初めまして。準硬一のシティーボーイ、德田理来です。

私のこれまでの野球人生を振り返ると本当に多くの方に支えていただきました。まずは、感謝したいと思います。特に家族には今振り返るとゾッとするくらい時間と労力を費やしていただきました。本当に感謝しています。そろそろ親孝行しないといけないなと思いつつ甘えられるのも今のうちだなとも思いもう少し甘えようと思っています。あしからず。

色々なことがありすぎた野球人生なので、自分の野球人生を変えた中学、触れざるを得ない高校、今現在の大学の3つに分けてまとめようと思います。

中学は私の野球人生観を大きく変えた方と出会いました。それまではアウトになるたびに泣くほどの泣き虫で、試合では緊張してガチガチになってしまう私は当時の監督から「野球は娯楽から始まったものだ。だから楽しむことは忘れちゃダメだ。」と教わりました。今振り返るとこの一言で私の野球人生は大きく変わったと思います。今でも遊ぶなよとけんぴに言われたりしますが、それを言われてる時は僕の絶好調の時です。今後も遊んでいきたいと思います。

高校は鎌倉学園に進学しました。とにかく思い出がありすぎてどのようにまとめたら良いのかわからないので思い出を羅列していきます。

・入学していきなりスタメン出場し間のフライを落とす→「オッケー」と知らない学校の校舎で3時間発声練習をした。
・3年間の野球部人生で1番きつかった応援団→選手としてはとても力になる
・ボールなしのボール回し→心でボールを見るらしい
・ボールなしのフリーバッティングも→野球はボールなくてもできるらしい
・ショートの定位置にマンホールが埋まっていて一歩目が切れなく怒られる→もちろん声出しからやり直させられる
・素振りよりも素バント→バントを失敗した時に、難しいボールでしたよという演技力が身につく
・兎にも角にも母指球→打席のサインで母指球が出たことも

ぱっと思い出しただけでこんなにもイベントが発生していました。なるべく簡潔にまとめたいのですが、高校は僕の人生のハイライトだと思うので少しその時の経験を自慢させてもらいます。2年生の頃、南神奈川県大会の決勝で横浜高校と対戦したことがあります。当時の横浜高校には、ファーストに万波選手(日ハム)がいたりベンチに渡会選手(DeNA)がいるし、抑え投手で及川選手(阪神)がいたり、神奈川で(全国的にも)野球をやっていたら誰しも聞いたことのある選手ばかりでした。その試合で意識したことは憧れるのをやめることでした。子供の頃からテレビで見ていた横浜高校と決勝戦で、しかも3万人近くの大観衆の横浜スタジアムが舞台と夢のような環境でした。勝利だけを考えていたのでこの時だけは憧れを捨ててプレーしました。どうやら昨年大谷選手がこの言葉を語って話題になっていましたが、僕はこの時すでにこの名言を考えていました。

以上のように冗談を書けるようになったのも大学で準硬に入った影響だと思います。正直、入部した理由はダイエットしたいなーくらいの軽い気持ちでした。振り返ると何気なくこの選択をした自分を褒め称えたいと思います。と言うのも野球人生で1番楽しく野球ができたと思うからです。部活動ではあるものの本当に娯楽として野球しに行く感覚でした。仲間にも恵まれて本当に楽しい準硬生活を送れています。特にはるや、あだちにはこんなにも面白い人がいるのかと驚きました。彼らが僕のしょーもないボケにもつっこんでくれたおかげで、先日帰省し友人と遊んだ際にとってもすべりました。今後は量ではなく質で勝負していこうと思います。おそらく僕のことが好きな和気、安心のまちょのせ、奇跡の再会ひかる、バイトをクビになりまくるりょうご、"同輩"おさっぷ、全員の名前をここに載せれるくらい同期一人一人と楽しい時間を過ごせました。本当にこっぷんかーぷ。そんな仲間とできるだけ長く、最後まで楽しんで野球ができるように遅刻をせずに最後まで遊ぼうと思います。

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