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俺物語ー杣木一至(文3)

〜俺物語〜

タイトル:学生時代に力を入れたこと

関西学院大学文学部フランス文学フランス語学専修
選手兼主務、サードのポジションリーダー、コンプライアンス担当者、学部リーダー、KGAD担当者、その他諸々を務めております杣木一至と申します。
先日のブログで矢崎(社・3)がサードのポジションリーダーを名乗っておりましたが、無視していただいて結構です。僕が本当のポジションリーダーです。

昨年読んでいた先輩方の引退ブログを今は自分が書いていると思うと非常に感慨深いです。それと同時にもう野球人生の終わりが間近に迫ってきていることを実感します。

小学校3年生の時に友達に誘われて少年野球の体験会に行き、保護者の方からお菓子を頂き、頑張ればプロになれると言われた言葉をそのまま間に受け僕の野球人生がスタートしました。プロ野球選手になり、引退後はプロの料理人になる。そんな就職活動をしている今よりも明確なキャリアビジョンを描いて日々練習をしていました。(サインを書く練習もしていました。)

中学生になると、外部の硬式野球チームに入りました。しかし野球が上手い同期、厳しい練習についていけず、なかなか試合に出ることが出来ませんでした。しかし、中学2年生の時に大人の事情でチームが分裂し、25人いた同期が半分ほどの人数になりました。その隙にしれっとセカンドのレギュラーを獲得した僕が高校進学の際に選んだ高校は僕が中学3年生の時に甲子園に出場した早稲田佐賀高校でした。

高校時代は野球を辞めたいと思い続ける毎日でした。全国各地から集まってくる「〇〇選抜」のTシャツを着た同期に少しビビりながらも余裕そうに対応した入寮初日、Aチームに抜擢されるも1週間ほどで「遊びに来たなら大阪帰れ」と怒鳴られ、入学後最初のテストでは下から数えたほうが早い校内順位を取るなどこれから始まる高校生活に絶望しました。毎朝5時50分に起床してから寝るまで一瞬も気の抜けない生活を3年間続けました。携帯を触る時間は10分もないような監獄生活を「甲子園」だけを夢見て3年間耐え続けた結果、コロナで甲子園大会すら無くなるという最高のオチまであって思い出に残る3年間でした。

大学では、野球をするつもりは全くありませんでした。しかし、学部のオリエンテーションの際に鵜飼(文・3)に誘われ準硬式野球部へ入部することに決めました。入部したものの 1年生の時は野球に全くやる気がなく、永遠Bチームで楽しく野球したいなと思っていました。今の下級生からは想像もつかないかもしれませんが、当時はコロナの行動履歴の未提出が多く、反省文もたくさん書きました。この代で最初に遅刻したのは僕とりょうご(法・3)でした。リーグ戦の試合中に矢崎(社・3)らと若菜そばに行っていました。とにかく今では考えられないほど無茶苦茶でした。あの時は本当にごめんなさい。
2年になるとAチームに入り、初めてベンチ入りすることが出来ました。この時から野球にやる気が出始め、ほぼ毎日、オフの日も自主練習をするようになりました。(つよしやせん最近就活で自主練行けてないけど、また自主練やろな!)
またたくさん優勝を経験させていただき、わんちゃんこの戦力やったら全国制覇あるんちゃうかなって思いました。しかし結果は全国初戦敗退。全国の壁の高さを身をもって実感しました。
3年になると選手と主務を兼任させていただくことになりました。しかし予想以上の仕事量に全く両立することが出来ず、練習量が落ち、調子が上がらない日々が続きました。調子の上がらない焦りを感じながらも同じ運営メンバーのあみちゃん(商・3)、堀(法・2)の支えのおかげで慶應定期戦、KGAD加盟審査、春合宿などの大きな行事を無事に終えることが出来ました。特に春合宿では、僕のパーソナルzoom IDを覚えるんじゃないかと思うくらい何回もミーティングを重ねましたね。(笑)ほんまにお世話になりました!春リーグ以降は、しっかり両立をして、両面でチームを引っ張れるように頑張ります。

ここまで長々と自分の野球史について語らせていただきましたが、ここからはお世話になった人に少しメッセージを書かせていただきます。もう少し辛抱して読んでいただけると幸いです。

裕也(教・3)へ
俺の準硬生活を180度変えてくれた存在と言っても過言ではないです。練習初日に1人だけスーツで着た時にはめちゃめちゃ変なやつおるって思いました。野球に熱入ってなくて、適当に練習だけ行って帰ってた1年生の頃、毎日電車で一緒に帰ってた裕也はずっとAで試合出たいって言ってました。正直自分やる気ないのになぁとか思いながら話合わせてました。でもそんな裕也を見て、野球にもう一回熱が入りました。入部当初はお互い主務、主将になる未来なんか1ミリも想像できひんかったけど、いつも支えてくれてありがとう!


堀(法・2)へ
2年から運営メンバーに入って、バリバリ仕事をこなす姿はとても頼もしいです。だからこそもっと早い段階から仕事を任せればよかったと後悔しています。去年の冬、自分に的確に仕事を割り振る力がなくて、少しキャパオーバーしてしまった時期もありましたが、自分から「何かやることありますか?」と聞いてきてくれてとても助かりました。最近ではBチームのキャプテンを務めていて、キャプテンシーも芽生えてきていると感じます。無茶なお願いをする時もあるかもしれませんが、もう少しだけ手伝っていただけると助かります。


父へ
今まで何不自由なく野球を続けさせてくれてありがとう。野球はやったことなかったのに、キャッチボールに付き合ってくれたり、ノックを打ってくれてありがとう。少年野球の時、試合中声が出てなかった自分に後ろから蹴りをいただいたのは一生忘れません。おかげさまで今では、ムードメーカーキャラになることが出来ました!引退後はラグビーの試合を観に行きましょう!

母へ
今まで支えてくれてありがとう。定期的に大怪我して帰ってくるけど、その度に治療をしてくれて感謝してます。目を怪我して失明するかもってなった時に野球を辞めるか聞いてきた母に人生で一番反抗してしまいました。あの時はごめんなさい。家では必要最低限の会話しかしない僕ですがめちゃめちゃ感謝してます。これから少しずつその感謝を返していければと思っています。

同期へ
振り返ればこの代での思い出はあげればキリがないです。上裸で自主練、矢崎停部事件、合宿たばこ事件など大小様々な事件が起き、ガクチカで1個も準硬のこと話さんやつ、打席でずっと喋ってるやつ、毎日小ボケ用意して練習くるやつ、公式戦の打席でもふざけるやつ、深夜に急に心霊スポット誘ってくるやつ、ユニフォームで電車乗ってくるやつなど個性の強すぎる同期のおかげで毎日笑いの絶えない日常でした。提出物は毎回出さへんやつおるし、行事の欠席連絡は直前やし、大変なことも多かったけど、主務に任命してくれてありがとう!この代で野球が出来て良かったです!春リーグ優勝して、秋リーグの際は大変ご迷惑をおかけした「あの居酒屋」でもう一回祝勝会しましょう!

その他感謝を伝えたい人は挙げればキリがありません。いつも応援に来てくれて、会ったら声を掛けてくれる応援団、いつも助けてくれる他部の主務のみんな、本部の人たち、いつもお世話になっているスポシンの方々、OB会、伊藤監督。様々な方の支えがあってここまで成長できたと実感しています。これら多くの方々に結果で恩返しできるよう、春季リーグ戦に臨んで参ります。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。今後とも弊部へのご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

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