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核心を突く言葉ほど痛い

Mに指摘された事で忘れられない言葉がある。

原因はなんだったか。
ある日口喧嘩になり、お互いヒートアップしてしまっていて、そんな中言われた事で、主に私のパーソナリティについての指摘だった。

言われた当初、私はそんな事を他人に指摘されたこともないし、むしろ自分ではその逆の性格をしていると感じていたからこそムキになった。
そう思わせていたとしても、それはMが私をそういう風に見ているから感じることなんじゃないかとすら思った。見当違いだよ、と思っていたのである。

だけど、その言葉がずっと胸に引っかかっていた。
なぜか忘れられなかった。
経験上、忘れられない言葉の中には自分の核心を突いている事が多い。それを知っていたからこそ引っかかっている事すら認めたくなかった。

私個人は、人のパーソナリティについての指摘は慎重にするべきだとも思っていたから、喧嘩の最中勢い任せに言われたことも嫌だった。
これがもっと落ち着いた状況で言われたのであれば多少は素直に受け入れられたのかもしれないけれど、当時は(何回も言うが)本当に嫌だった。
無意識に分かっていたことを見透かされた恥ずかしさもあったし、勝手に私の深い所に踏み込んできて頼んでもいないのに、アドバイスという名の正論で突き詰めてくるところが心底不快だった。
何より、Mにそう思われてる事が傷付いた。

さて、この喧嘩から現在まで早10ヶ月が経過している。結論から言うと、受け入れたくなかったけど、結果的にMの言う通りだった。
認める過程は惨めで嫌だったけど、今は言われて良かったと心から思う。分かれば改善することが出来るから。自分の嫌な所を直視するのは相当ズタボロになったけど、本当に良い経験が出来た。

仕事でも何でも言われる内が華だという言葉がある。私は人を教育する立場に立っている人間だからこそ思うが、これは本当にそうなのだ。

大人になればなるほど指摘してくれる人は減っていく。自分の出来上がった価値観の中で知らず知らずのうちに過ごしてしまう。
何も言わずに離れていく人のほうが多いなかで
指摘されることのありがたさを年々感じるようになった。

本当に、核心を突く言葉ほど痛いね。
でもそれを認めることでしか人は大きくなれない。

ただ実は、あの時Mは私の事を思って指摘してくれたわけじゃないことも今なら分かる。傷つけようとしていたわけでもないと思うけど、きっとそこには彼のエゴも隠れていたと思う。
そしてそれは彼自身がよく分かっているんだろう。

相手が自分を思って言ってくれたことなのかそうじゃないのか、人間はそこまで馬鹿じゃないから感じ取れるものだ。


だけどそれでも、私は言ってくれたことに対して
本当に本当に、感謝している。
あなたは私に色んな事を教えてくれたし
あなたに出逢う前より、今の自分の方が魅力的になれたと思ってる。あなたと過ごした時間の中でそれは少しずつ育まれていったものだと思う。
今はもう感謝しかないよ。

もっともっと素敵な大人になれるように
たくさん傷付いても失敗してもそれを糧にして
自分の頭で考えて決断出来るように
素直な心持ちでいたいね。


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