いのちの食べ方 感想

私達はいのちを食べて生きている。
そんな表現すら生温い、私達が食べている『誰かの人生』がそこにあった。

ただ、ただ淡々と。 生産者の方達は日常を送る。
ふわふわのかわいいひよこを物のように掴み、投げる。
薄暗く閉ざされた場所で、けたたましく鳴くニワトリたちの中を闊歩する。
カメラを認識して、目線をこちらに向ける豚は、精肉工場に運ばれていく途中だ。
今わの際を機会の中で向かえ、がたがたと痙攣し、ふ、と動かなくなる牛。
その傍らに血まみれの職員がいる。
トマトも。りんごも。じゃがいもも。
途方もなく大きな農具や機械で収穫、洗浄、消毒される。どんなに金と手間が必要なのだろうか。想像もできない。
そして生産者も食べる。 いつものように。サンドイッチを食む。
そこにはただ、ただ、日常がある。
どこか、ショックを受けている自分がいる。
しかし、かわいそう、なんて無責任な言葉は口が裂けても言えない。
彼らの死と生産者の日常のその先に、私という消費者がいる。 彼らの行きつく先は、私の腹の中だ。
消費者には、消費者の責任と役割がある。
殺す、売る、食べる。
この歯車の中に消費者は必要不可欠だ。
私はこの映像を見て感じた心の痛みを忘れることなく、これからも食べるのだろう。
昔読んでいた漫画に出てきた言葉がある。
生きる事は食べる事。食べる事は殺す事。
だから私はこれからも食べる。
食べるのである。


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堅苦しい感想はここまでにいたしまして。
なんというか、人間が人間だから作られた映画、という風にも感じましたね。
私は人間が人間たらしめるものは、自分を客観視し、比較し、惨めに思ったり、罪悪感を抱いたりすることだと思っているので。
そういう自分の中にある人間らしさを刺激する映像だったな、と。
いわゆる、かわいそうだと思うのか、罪深さを感じるのか、ヴィーガンについては、とか、そういうのはあまりなくて。
食べる事を仕方ないとか正しいとかいうわけでもなくて。 まぁ、自分はこれからも今までと同じように生きたいしなぁ、と思いましたね。
あと、自分の口に入る食べ物がそこまでたどり着くのにかかった途方もない時間、また繰り返されるサイクル、一つの輪廻転生のような、果てしなさを、忘れる事はないのだろうな、と思います。

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