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私的KAN論(仮) 第3章 モラトリアムの果てに〜「愛は勝つ」の時代背景

「愛は勝つ」のメガヒットは当時の邦楽ポップシーンの中で、明らかに大きな影響があったと思います。まだバンドブームが続く中、いわゆる邦楽ロックとは違う角度のソロ男性アーティストの台頭です。大江千里や岡村靖幸といったEPIC勢が奮闘、YMOチルドレンの流れからの高野寛といった面々が先行していましたが大きな波にはなっていませんでした。KANのブレイクがあってこそ、槇原敬之の台頭もあったと思いますし、バンドブームの渦中で苦戦していたMr.Chiidren桜井和寿の覚醒、それによるJ-POPブームが加速したことはもっと触れられてもいいと思っております。そう、明らかに「愛は勝つ」以前と以後でシーンの勢力図は変わったのです。

直接(「愛勝つ」の)影響を受けたという意味では違うと思いますが、マーケティング視点で確実にスタッフサイドが「意識」されてたんだろうなと思う1曲、楠瀬誠志郎の「ほっとけないよ」を例にあげてみたいと思います。

杉真理や来生たかおなど数々のアーティストのバックコーラスとしても活躍していた楠瀬誠志郎ですが「冒険者たち」というアルバムでソロデビューを果たしたのが1986年です。CMソングに起用されたり武田久美子や秋本奈緒美、須藤薫、森山良子などへの楽曲提供など、もともとソングライティングには定評のあるアーティストでした。ちなみに郷ひろみがバラード3部作としてリリースしたうちの1曲、「どんなに僕を好きか君は知らない」はもともと楠瀬が89年にリリースした曲のカヴァー・ヴァージョンです。

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