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30年前の夏。撮影所の風景と世界塔。

ヘイホー、レッツ・ゴー!カモン!と30秒に1回ぐらい心の中で叫んでる。理由は暑いから。いやはやしんどい暑さだよ。今年の夏はきつい。数歩で汗だくのマジック・サマー。この暑さ、初めて京都で夏を過ごしたときの衝撃を思い出す。

初めて京都の夏を過ごしたとき。それは1989年の夏ですよ。恐ろしいことにクーラーなし。扇風機が奏でる風は温風。窓を開けても暑い。全裸になっても暑い。テレビをつければよしもと新喜劇、つまり暑苦しい。覚えてるのはあまりの暑さに風景が歪んで見えたこと。それぐらい京都の夏はしんどかった。2回目以降は慣れましたけどね。あの暑さも風情みたいな。

だけど一般的には京都ラーメンと同じくらい誤解されてるんですよね。なんとなく涼しげ?みたく。なので実家にクーラー買ってくれ!と土下座したら「京都は涼しいってテレビでやってたぞ」と却下。ちょうど京都の鞍馬とか貴船とかの山奥隠れ家食事処みたいな特集やってたらしく。テレビの影響力がまだまだあった時代。京都は涼しおますでと印象操作(そんなつもりもなかったかもだけど)。おかげでボクは卒業まで汗だくの夏を過ごしてたんす。

デフォルトの京都サマーDAYS。まず起きた時点で汗だく。顔洗って歯磨いて着るもんもテキトーに。まずとにかく部屋を出るのがテーマ。脱出ってイメージですよね、もはや。部屋出てとにかくすぐ隣にある本屋兼レンタルビデオのオレンジポートって店にチェックイン。立ち読みしながら汗がひくのを待つ。汗がひいたらチャリにライドオン。丸太町通りを激走し腹ごしらえに向かう。新福菜館二条店、千本丸太町のネギ馬鹿一代、河原町まで飛ばして第一旭とラーメンばっか。 

と、あまりの暑さにフラッシュバックメモリーズ。我ながら愚鈍な日々を過ごしてたもんだと呆れるしこの1989年の夏休みは買ったばかりのフリッパーズギターの1stが愛聴盤だった。知ったきっかけは雑誌広告。ロッキンオンジャパンだと最初はほんの少しの紹介記事のみ。まだまだバンドやろうぜな空気感とイカ天の時代だった。ちなみに関西ではこの時期イカ天はオンエアなし。ボクは帰省したときだけ観ることができた。ブランキージェットシティもこの帰省ついでに目撃できたんだよな、たしか。

まだ夏フェスなんて言葉もない時代。ボクらはどうやって日々をやり過ごしてたんだろう。それなりになんかあったのか。サークルの合宿、その費用のためのアルバイト。そうだ、バイトだ。

ボクは音楽サークルに所属してた。合宿は年3回。とりあえず夏合宿の費用が必要だった。5万円。あるメンバーは山崎パン工場へ、ある者は缶詰工場、ベースの村上はファミリーマートのシフトを増やしていた。さてボクはどうしよう。ふとひらめいた。映画村へ行こう。

ボクの住んでたボロアパートの隣は映画村の駐車場だった。ならば映画村に行けばなんかあるんじゃないかと思ったんだな。行きました。ノーアポで。入場受付で「なんかアルバイトないすかね」。通用した。事務所に通されると「なんや。学生か。金ないんか。しゃーないな。明日な、朝6時や。また来てや。必ずやでぇ」

コテコテの関西のおっちゃん。ピンクのワイシャツに赤のネクタイで黒縁メガネのスキンヘッドスタイル。「とりあえずな、君な、明日から大部屋や。ええやん、映画に出れるかもわからんでぇ。うしゃしゃしゃ」

このときボクは大部屋がなんなのかまったくわからないし、アルバイトを探しにきてどうして映画に出るとかそういう話になるのかまったく意味不明だった。だが日当日払い8,000円の魅力には勝てなかったので翌日ボクは朝6時に再びこの映画村事務所にチェックインした。徒歩圏内の強みだね。

昨日のおっちゃんはボクを見つけると「ほな衣装に着替えてな、ドーラン塗ってもらわなあかんしそこの衣装部屋行ってえな」。30分後、鏡の中に旧日本陸軍二等兵のコスプレをしたボクがいた。

「設定はな、映画会社の話やねん。うちの会社、東映なんやけど昔は東横映画ゆうてな。その時代のスタッフが主人公やね。あんたはそのスタッフが作る戦争映画に出てくる俳優ってわけや。さあロケバスも待ってるで!行ってきいや!」

ボクは二等兵の格好でロケバスに乗り、撮影現場に向かいたどり着いたら豪雨の山奥の沼地でいきなり匍匐前進のシーンが初撮り。結局ここでほぼ1日を費やしボクの撮影初体験リッチモンドハイは終了。撮影現場で主役が中村雅俊さんと知り、そのナイスガイぶりに心撃たれた記憶あり。

2回目は古谷一行さんだった。金田一シリーズ。このときは変な詰襟学生服コスプレ。京都の上賀茂方面、嵯峨野方面がロケ地だった記憶がある。

3回目は真田広之さん。だけど目も合わせてない。理由は町人役でずーっと平伏してなきゃいけないから。OK出るまでずーっと平伏。これはけっこうつらい。

いわゆる時代劇の殺陣シーンは大変だった。段取り覚えないとケガは確実。まあボクは所詮アルバイトのエキストラなのでせいぜい斬り合うシーンの横を刀持って叫びながら通り過ぎるだけとかなんだが。だけど何度も繰り返し撮影するので消耗はなかなかである。ついでに書くと撮影所ってやつが朝早くて飯をしっかり食べなはれカルチャーだってことをこのとき知った。

時代劇用のカツラのサイズが合わなくて「自分アタマ大きいわ。面倒やしコレでええやろ」とあきらかに小さいカツラを無理矢理ハメられ1日中きりきりと輪っかの締め付けに悩む孫悟空状態。同じ衣装で町人役として同時進行で撮影している作品を1日でいくつも掛け持ちした。

植木職人、浪人侍、なんかの罪人(縄つき)、新撰組その他大勢の役(刀持って叫んで走り去るだけ)、明治時代の書生なんてのもあった。学生服で人工的に降る大雨の中、傘もささずに慌てて走り去るシーンはつらかったなあ。

日当は六千円。残業ついたりハードな現場だと上乗せありで1万4000円なんてこともあった。バイト翌日河原町に繰り出し何枚かCDを買って散財。洋楽も邦楽もマストバイが多すぎた。大江慎也が前座のシュガーキューブス公演、大阪まで観に行けたのはエキストラのバイトがあってこそ。GET HAPPY!と歌う大江はちっともハッピーに見えなかった。

「つ、次の曲は最後から2番目の曲です。どうもありがとう!」コレがこの日の唯一の大江慎也MC。この日の大江はシュガーキューブスより深く深くボクの中で印象に残っている。

夏が終わってもボクはエキストラのアルバイトは続けまくった。授業に出ない日はどんどん増えていった。撮影所の大部屋のおっちゃんはいつもハイライトかショートピースを燻らせボクらエキストラの連中を仕切った。

「ええか。まずは飯や。飯は手抜きしたらあかんで。朝も昼も夜もしっかり食うことや。それが生きるって仕事の中でいちばん大事なんや」

「うまい飯食ってええ娘(こ)と付き合うこと。男としての醍醐味はそれしかないやん」

「理屈はあかん。まずはカマしたれ。能書き垂れるヒマあったら走らんかい。さっさと行動せんかい」

「嫌なもんはしゃあないやん。嫌でええんや。好きなもんは好きでええねん。ああ、腹減ったわ。食堂で唐揚げ食おうや」

アナクロな昭和の匂いがぷんぷん漂う撮影所。大部屋のおっちゃんは誰に話しかけるともなくボクらエキストラに役に立つんだか立たないんだかよくわからない格言めいた言葉をくれた。実際エキストラのほとんどはボクのようなボンクラ学生。留年を何回も繰り返してるようなリアルどくだみ荘なモラトリアムな連中だった。3度の飯より映画が好きって連中ではなかったな。どっちかと言うと「いかにして飯にありつけるか」てほうが近い。車田正美の名作中の名作「リングにかけろ」における辻本みたいなハングリーさ。

当たり前だが月々ゲットしなきゃいけないCDやらマンガやら小説があの頃多過ぎた。まだ「こち亀」の単行本も出るたびに買ってたし。つまり家計は常にオーバードライブ。「金がないよなァ」とため息つきながら読むロッキンオン・ジャパン。まだユニコーン存命で奥田民生が汚いヒゲ面で表紙を飾った号。あれ読みながら「とにかく金がない」と唸っていた世の中バブル真っ盛りタイミング。もちろんジャパンの判型はおっきい頃の話。

今日も暑い。外に出た瞬間やる気失せる危険な暑さ。でもあの頃の夏のほうが確実に暑かったと思う。帷子ノ辻駅前の「王将」餃子定食、CoCo壱の1300gカレー30分完食コース、JR花園駅前の天下一品こってりに新福菜館二条店、三条河原町の第一旭とその隣にあった謎の天丼屋。ビートルズしか流れない、大量の本宮ひろ志マンガを陳列する喫茶店「アビーロード」のピラフセット。それがボクにとっての80年代の終わりであり90年代の始まりだった。

「ヘッド博士の世界塔」リリース、最後のツアーから30年経った2021年の夏。やたらフレンドリーに「よっス!」と「オッス!」を観客に繰り返す小沢健二を鮮明に覚えている(大阪公演)。

あの大音量カオティックなライブを観たあと同行していたZIGGYと氷室京介信者は群馬訛りで「あんなのロックじゃないんさ。カラオケで歌いづらいんさ」と言った。ボクは言い返さないことにした。

帰りは四条大宮の王将で唐揚げと炒飯を食べた気がする。唐揚げについてる塩胡椒が少ししょっぱかった。ヒムロック好きの男は「まあ可能性はある2人だと思うんさ。次のライブも観てみようと思う。長い目であの2人は見守らなきゃいけないんさ。貴重な才能なんだし」と王将ラーメン大盛りを啜った。ちなみにこの男、ZIGGY、ヒムロックに花田裕之のコピーに明け暮れるバンドのヴォーカル。もちろんボクと違って大学は4年で卒業した。マイケル・モンローと森重樹一でアタマがいっぱいの群馬出身のこの男にすらフリッパーズは届いたんだな。

なあ、30年前の自分よ。今年はあの頃予想もつかないことが起こってるよ。まいっちゃうよなァってことばかりだ。柳沢きみおの創作ペースはさすがに落ちてる。原秀則は野球マンガへ傾斜した時期を過ぎてまたモラトリアムものを描いてる。浦沢直樹はスピリッツからモーニングへ行ってまたスピリッツに戻ってきた。

続いてるものもあるけど、いろいろ変わってしまった。だけどやっぱ思う。あの頃のほうが暑い夏だったってね。撮影所のおっちゃんは元気かなあ。長生きしそうだったし大好きな唐揚げとビール、ばっちりガンギメする優雅な日々を過ごしてることを願うよ。



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