見出し画像

きまぐれオレンジロードに捧ぐ。

真っ赤な麦わら帽子と神社の階段。オープニングもラストもそんな印象的なシチュエーション。80年代中期、ラブコメブーム最後を飾ったのが「きまぐれオレンジロード」だった。

あだち充や村生ミオといった方々が描く、先行するラブコメ作品と「きまぐれオレンジロード」が大きく違うのは週刊少年ジャンプで長期連載していたことだ。サンデーやマガジンではなく、読者アンケート、つまり人気がなければ10週で打ち切られるアレはこの時代、読者レベルですら浸透していた。僕は83年の連載開始からリアルタイムで読んでいる。絵柄、そしてストーリー。どちらもジャンプ的ではないことに違和感がなかったわけではないけど、ハマった。やっと自分の世代が読むマンガが出てきたと思った。連載開始時の巻末作者コメントは「シティ感覚で描いていきたいです」だった。そう、まず絵柄がお洒落だなって当時中学生の自分でも感じれた。江口寿史さんの「ストップ!ひばりくん」は好きだったけど、そのもう一世代下の漫画家であるまつもと泉さんの絵柄は田舎の中学生にでもわかりやすくポップだった。のちにまつもとさんご本人とお話する機会があり、街の舞台がご自身がお住まいになっていた三軒茶屋とか下北沢とかあの辺を参考に描いていたことを知り納得した。あの時代の東京ローカルの空気感がとにかく読み手には心地よいものだった。

絵柄はジャンプコミックスの2巻後半あたりからドライブしていく。物語冒頭はまだ絵が固いけど、どんどん鮎川まどか、春日恭介、桧山ひかるといったキャラが確立されていく。85年の春〜夏頃は絵柄も物語も最強だったんじゃないか。あだち充の「みゆき」は連載が終わり、「タッチ」はラブコメから新しい野球マンガというフェーズへシフト、高橋留美子の「めぞん一刻」は健在だったけど、掲載誌はビッグコミックスピリッツで青年誌だからマーケットは少々ズレがある。そんな時期、「オレンジロード」は孤軍奮闘していたと思う。永井豪や吾妻ひでおの影響も公言していたまつもと先生なので、主人公春日恭介がエスパー(作中表記はESP)でもちろんその能力から巻き起こるドタバタ劇もこの作品の魅力のひとつだ。

鮎川まどか、というヒロインはラブコメ史上、浅倉南と同じぐらい重要なポジションにいると思う。周りからは不良と誤解され、本当は傷つきやすいけど強がりでそれでいて後輩思い。実は成績優秀、運動神経抜群。父親譲りの音楽的才能もあるといったスーパーヒロイン。ラストシーンで恭介とはめでたくハッピーエンドだけど、ファーストシーンとまったく同じシチュエイションってのがこのマンガを長く読み継がれる名作にしている所以だと思う。ラストシーンの「夢のような80`s このときめきは忘れない」ってのがすべてを表している。連載終了が87年秋。ちなみに、ちょうどテレビアニメはこの年の4月に始まっている。主題歌は「NIGHT OF SUMMER SIDE」。原曲は「ミュージック・ボーイ」だがこの話は確実に話が横道に逸れるので割愛。

僕はこの作品がサンデーやマガジンではなくジャンプで連載されていたことが凄いと思っている。実際、最終巻の作者コメントにもあるように「オレンジロード」のジャンプ本誌最終話は誌面のかなりうしろに掲載されており、まつもと先生は話をまとめるためにもう少し先の時期での連載終了をのぞんでいたようだが、編集部にはそれが許されなかった。ゆえに最終巻は45ページほど書き下ろしで組まれている。でもね、「オレンジロード」がジャンプのマーケットを開拓したという見方もあると思う。このマンガの存在がなかったら、のちの「幽遊白書」も「電影少女」も、もしかすると「まじかるタルるーとくん」もなかっただろう。「オレンジロード」がヒットしてなければ「北斗の拳」と「ドラゴンボール」と「シティハンター」・・つまり熱血バトルものだけ。女性層を取り込んだ「るろうに剣心」とかなかったかもしれない。

まつもと先生と最後にお会いしたのは2011年の年末ぐらいだったと思う。本当に数回程度しかない。それでもファミレスをはしごしてお茶しながらいろんなお話を聞かせていただいた。

先生、執筆予定されていた「幕末綿羊娘情史」ちゃんと読みたかったです。そしてご自身のペンで描いていた闘病記も。そしてもっとお話したかった。お仕事もご一緒したかった。

「きまぐれオレンジロード」の最終回を知ったのは新幹線の中でだった。僕は高校二年生で修学旅行の帰り。当時毎週ジャンプを買うのはやめていた。ビッグコミックスピリッツへちょうど(読者として)移行してた時期だったしロッキング・オンも毎月買わなきゃいけなかったし、レコードも買いたい。洋楽ロックかぶれになりつつあるタイミングで「オレンジロード」も単行本では買っていたけど、ジャンプを買い毎週読むことはやめていたのだ。最終回はあまりに唐突だなと思った。だけどちゃんと読むのはやめよう、どうせなら単行本で読もうと友人が差し出すジャンプを僕は手にとらなかったことをよく覚えている。だって読んだら終わりじゃないですか。今日、先生の訃報を聞いてあのときの気持ちが鮮明に蘇ってます。

音楽が好きでマンガも好きで。そんなポップカルチャー好きでいいんだと思わせてくれたのが先生の作品でした。ミュージシャンを志望しながらマンガ家へ転じたこと、それでも作品の随所に先生の好きな音楽への愛情は描かれてます。

「オレンジロード」で出てくるカフェの名前は「abcb」、つまりこれはジェネシスの81年発表のアルバムタイトルから。「オレンジロード」に続いて描かれた「せさみストリート」主人公が八百屋でミュージシャン志望ってところとか。

昨日の筒美京平先生に続いての訃報。昭和の、特に平成はじめにつながるあの時代。80年代邦楽ポップスリバイバルとか、いろいろあるが、もう2度とあの時代の空気は戻らない。当たり前なんですけど。

レンタルレコード。出始めのCD、CDシングル。CDラジカセ。SONYのミニコンポはリバティでCMソングはレベッカが担当していた気がする。ユーロビート、芝浦インクスティックのネオGSのイベント。週刊化したビッグコミックスピリッツ、「宝島」が乱発した中央線沿線特集。バック・トゥ・ザ・フューチャー。田舎の輸入盤専門店、おきまりのディスプレイはジョージ・ハリソンのジェフ・リンのプロデュースによるあのアルバムとマイケル・ジャクソンの「BAD」だった。欲しいレコードはいつも見つからなかった、そんな時代に愛読した「きまぐれオレンジロード」。

まつもと先生、どうか安らかにお眠りください。

夢のような80`s。このときめきはー忘れない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?