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「歌謡曲meetsシティ・ポップの時代」刊行〜「ドカベン」31巻に思いを馳せながら

正論と暴論の狭間で思い悩むことがあるのは結局“行間”をありかなしかの話と通じる気がする。いわゆる行間マジック。何事も間は大事ですよね。

そんなわけでnoteの更新をしばらくサボっていた。約半年空いてしまったのはずーっと思い悩んでいた、っていうのはウソ。単に毎晩ぽちぽちと自分の初単行本用の原稿書いてた。そしたらあっという間に時は過ぎ去り年末だ。長かった。いや、短かったのか。正直よくわからんのですがとりあえず現在発売中です。タイトルは「歌謡曲meetsシティ・ポップの時代」。シンコーミュージックから発売されました。

さて野球マンガ好きが“神本”とあがめてやまないドカベン31巻ってのがあります。ここで描かれるのは常勝明訓と呼ばれる山田太郎率いる明訓高校が負けるかもや、、な話。全国の高校球児を震え上がらせる、不動の4番山田太郎は手首の負傷、エース里中は幼き頃から変化球投手として酷使してきた右肘痛といわゆる名バッテリー、物語のツートップがとにかく使い物にならない事実。

常勝明訓の窮状を救ったのはピアニストから転向した飛打殿馬、悪球打ちの岩鬼だった。この物語以降、この4人は明訓四天王として高校野球界に君臨するわけだが、脇キャラに対して執拗に語られる苦難のエピソードが31巻を“神本”とされる所以だろう(とボクは思うのだ)。もちろんツッコミどころはありますよ。正論大好きっ子視点からすればまず岩鬼の悪球打ちに対してグチグチ言う奴ら多そうだよね。グリグリメガネでカキンコホームランやって、どんだけ度数高いメガネなんだと。そんなメガネは存在せえへんやんけと。まあたしかにリアリティって意味ではどうかと思う。がしかし。オモロイからええやんケとボクは断言したい。

岩鬼にとっての悪球は普通の皆様にとっての絶好球。つまり普通の絶好球は岩鬼にとって悪球やんけとそんな禅問答みたいな「わけのわからなさ」で普通のストレートをスタンドインさせたこともあったっけ。殿馬のピアニストとして致命的な欠陥(指が短い)を指と指の間を手術することで長くするとか、それどうなん?北海道の南!(fromロキノン天国)ってところも荒唐無稽、長いバットでホームランで幕切れって最後は山田じゃねェのかってくだらん正論を振り翳されても困るわけですよ。当時リアタイで読んでた小学生のボクからすれば意外すぎてアリ。今読んでも手に汗握る展開だもん。


だがしかし。「ドカベン」は正統派野球マンガなのだろうか。てゆうか、そもそも正統派の野球マンガとはなんぞや。実現不可能な魔球が出たら異端なのかっていうとそれは違うじゃん。だったら里中智のさとるボールは?スカイフォークはどうすんのと。要するに読み手にしっかりと爪痕残せるかどうかってことなんですよね。「ドカベン」をはじめとする水島作品が野球マンガの金字塔と呼ばれる所以はここにある。

だって何年前よ、「ドカベン」31巻。ここで繰り広げられる白熱はおそらく10年後も20年後も変わりませんよ。紙で読もうと電子で読もうと、そんなつるセコな論議はほんとどうでもよくって。まずは読めよな、よろしくちゃんって話ですよ。


ほんとは初の単行本なのでちゃんと企画思い立った経緯とかをもっともらしく書こうと思ったんだけどよく考えてみればそれは「刊行によせて」とか「あとがき」で本書中でちゃんと触れているのでそちらを読んでください。この本には魔球は出てきません。が、岩鬼の悪球打ちみたいな変則的角度で「歌謡曲meetsシティ・ポップ」だった時代を語ってる本です。

高校時代打率七割を誇った4番山田太郎の角度というよりは、中学時代に上手投げを諦めアンダースローに転向した里中智や飛打に自分の持ち味を見出した元ピアニストの殿馬のような、独自の切り口を見出しながらなんとかかんとかやってきたボクなりのジャパニーズ・ポップ論です。現在書店もしくは大型CDショップ音楽書コーナーで発売中。何卒。

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