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だからJUN SKY WALKER(S)は「全部このままで」と唄った。

当たり前という言葉がある。

昔、それこそ月何万もCD購入に費やしていた時期があった。レコード店のハシゴ。月に、いや、週に何本もライブを観ていた。だけどもこれは多くの人々にとっては当たり前ではない。

熱狂とは実に恐ろしいものだ。
昔、ボクはいわゆる渋谷系なる音楽に夢中になりすぎて
ヒットチャートの上位を席捲しているとばかり思っていた。「今夜はブギーバック」は余裕でミリオン、コーネリアスのファーストアルバムはオリコン初登場1位だと思い込んでいたし、熱狂の渦の中心に自分はいるんだと思い込んでいた。

冷そもそもCD売り上げ全盛期、多くの人々は月に何万ものお金を費やしてCDも買わないし週に何本もライブに足を運ばない。年に2、3枚でも音楽好きは音楽好きである。年に1、2度でもライブに足を運べば立派な音楽好きだ。そう考えるとサブスクやらなんやらで月額1000円とかでいつでも聞きたい曲につながれる時代ってのはすごいなと思う。だってね、レコードじゃなきゃいけない、とかひとそれぞれじゃん。触れること、そして好きでいる気持ちが一番重要じゃないですか。


あたり前。つまりひとそれぞれのマイルール、マイ憲法。ルーティン・ワークなんて角度でも考えることができる。


ボクの学生時代の友人Mは月曜にビックコミックスピリッツを買い、水曜日に週刊少年マガジンを、木曜日にはコミックモーニング、金曜日にはヤングサンデーを買うことを習慣にしていた。
「こうするとね、曜日感覚がわかるんだよ」と彼は嬉しそうに言っていた。
それが彼にとってのあたり前だ。

ちなみに彼は毎晩12時過ぎると「ねえ。巨人勝ったよ」と電話をかけてくる男だった。つまりは巨人ファン。プロ野球ニュースで試合結果が報道されたタイミングで必ずボクに電話をかけてきた。特別な用事などなにもない。意味なんてどこにもないさ、を地でいくストーリー。そのうち彼は「ねえ、今、南野陽子が俺の部屋のドアの前に立ってたらどうする?」と言い出す。南野陽子という固有名詞は時として牧瀬里穂に変わり、宮沢りえに変わった。なぜか観月ありさは出てこなかった。てゆうか、そもそも君の部屋の前に彼女はあらわれないよ、とボクが電話を切ろうとすると「なに言ってんだよ!そういうことが起こるかもしれないじゃん?なにが起こるかわからないのが人生じゃないか」とキレられた。たしかにそうだった。このほぼ毎晩続くミッドナイト・コールの数年後、阪神大震災、オウムにより地下鉄サリン事件が起こる。


Mはプロミュージシャンを目指すと言っていた。
京都は千本丸太町にある拾得という老舗ライブハウスの前に彼は下宿していた。
ある日Mの部屋でテレビを見ているとJUN SKY WALKER(S)が演奏していた。
「START」という曲だった。

「これぐらいにはすぐになれると思うよ」
Mはそう言いながら壁にたてかけてあったベースをいじり始めた。爆風スランプの江川ほーじんに憧れベースを始めたMは音楽性でいえばファンク志向だったんじゃないかと思う。いつもペキペキとお得意のチョッパーフレーズで楽器を可愛がっていた。そして少し酔いがまわると「大きなたまねぎの下で」をベース弾き語りで歌い始めた。


92年、スピリッツで江口寿史さんの「BOXERケン」の1P連載が始まった。
ダイアモンドアンディのネタが個人的にはお気に入り、オオアリクイも好きだったがMにはハイブロウ過ぎたらしく「なんかね、深入りできないんだよね」と寂しそうに笑った。だがMが出張版「BOXERケン」が掲載されているスピリッツ増刊を買い、ボクが読むまで捨てずにとっておいてくれたのはありがたかった。そしてMのジュンスカみたいになる計画は頓挫したままだった。

93年になりジュンスカから寺岡呼人が脱退した。
新メンバー(もともとデビュー前のメンバー)伊藤毅を加えレコード会社も移籍、「100%無敵」なるシングルがリリースされた。

寺岡呼人の脱退後の活動の大半はロッキンオン・ジャパンで知ったしソロ作の「レボリューション」、「潮騒」はいまでもいい曲だと思っている。

そのうちMは初期真心ブラザーズスタイルのアコースティックユニットを結成し活動を始める。関西ローカルの新人発掘系オーデションやらイベントやらに出演するようになり、モテ始めた。「ねえ、牧瀬里穂が部屋の前にきてたらどうする?ねえ、俺、どうしよう?」なんて妄想に狂乱する日々は終わった。Mは「プロミュージシャンを目指すんだから大学はやめるよ」と退学届を出した。

そして京都の花園駅かなんかのキヨスクで働く女の子(しかも可愛い)に付きまとわれ「うざいんだよね」とクールに言い放つようになり、現実の可愛い子を放置し「最近の「BOYS BE・・」なかなかなんだよね」と少年マガジンを愛おしそうにページをめくる男となった。

そのころから「ねえ、巨人勝ったよ」のミッドナイト・コールは減っていった。Mもいつのまにかモテキを終え、キヨスク・ガールをふって、まるでタイプの違う女の子と付き合い始めた。「(ジュンスカみたいに)すぐになれると思うよ」のプロ発言は即刻撤回、復学し公務員試験のための勉強を始めた。95年ぐらいだったと思う。退学して1年以内は復学できるってのはMの行動を以ってボクは知った。いや、ボクはそんなことしてないけど。ただ、漫然とだらしなく留年を重ねただけだ(一番よくない)。

結局Mは地元で公務員をしている。ヴィンテージ・カーを愛し、時々遊びでバンドもやってるみたいだ。もう「ねえ、巨人勝ったよ」なんて電話もかけてこない。

そうやって日々のあたり前はあたり前じゃなくなっていく。もう月曜日にスピリッツも、水曜日にマガジンも買ってないそうだ。金曜日に買っていたヤングサンデーはとっくに廃刊だ。ボクもMにならって月曜日のスピリッツと木曜のモーニングは買っていたが
いつのまにかやめてしまった。

Mはフリッパーズ・ギターや小沢健二、オリジナルラブにはピンときていなかった。それよりはビブラストーンみたいなファンクバンドのほうがハマりやすかったのだろう。いつのまにか真心ブラザーズ的なユニットも脱退し、公務員試験に邁進していた。

あたり前、なんて言葉ほどおそろしく、そしてまた脆弱なものはない。1年前の「あたり前」はもはやとうに過去のものであるように。

先日たまたまJUN SKY WALKER(S)から寺岡呼人がまた脱退なんてニュースをネットで見つけた。オリジナルメンバーで再集結し定期的に活動してたのは知っていた。
まあバンドはいろいろあるだろう。集合離散。いつも居る光景はいつまで続くかなんて誰にもわからない。

そしてボクはMという友人のことを思い出した。
ただそれだけの話だ。


なにもかも 昨日までの 最高だったような
気持ちのままでいたい 去っていく夢たちよ

(全部このままで by JUN SKY WALKER(S))

ちなみにボクは特別ジュンスカのファンでもなんでもなかったけれど、代表曲は知っているし、「すてきな夜空」、「レッツゴーヒバリヒルズ」、この辺なんかは惰性で読んでた「宝島」〜「バンドやろうぜ」あたりの影響のせいだろう。

月曜発売のスピリッツはもう読まなくなって随分経つ。モーニングは読んでいるけど、いまや相談役の島耕作のコロナ疑惑は驚いたな。クッキングパパのまことはイベント制作会社を早々に退社&転職、いまや京都のレストランで働いている。

だけど時折「ねえ、巨人勝ったよ」のミッドナイト・コールが妙に懐かしく思えるときがある。部屋の前には南野陽子も牧瀬里穂も宮沢りえも誰もこなかったけど、あの呑気でバカだった時代はきっとかけがえのないものだったんだよなあ、と最近つくづく思う。

そうか、だから「全部このままで」なんだよなー。

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